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TOKYO BUCKET LIST. 都市の愉しみ方 お菓子から建築、アートまで歩いて探す愉しみいろいろ。

第8回:三月ひなのつき

Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。


桃の節句が近づくと『三月ひなのつき』を取り出して読みたくなる。
石井桃子・作、朝倉摂・絵の絵本で、自分の雛人形をなかなか買ってもらえない少女と、その母の関係がていねいに描かれている。

『三月ひなのつき』 福音館書店 刊

主人公の少女の母は、祖母から贈られた大切な木彫りの寧楽雛ならびなを戦災で焼失している。母は少女に、漆塗りの箱からそこに収納された雛段や衝立を取り出し組み立てる手順、雛々が収められた小箱に書かれた墨の文字、有職の内裏雛、官女三人、楽人五人、右大臣・左大臣の随身二人、仕丁、小さなお道具の数々まで、その一刀彫りの雛の話を、事細かに繰り返し語り聞かせてきた。

祖母が孫である母の初節句のために職人に頼んでつくらせたもので、華美ではないが上質の手仕事でつくられた雛が、かけがえのないものとして母の心を捉え続けている。
けれど、少女が望んだのは近所の「三光ストア」で売られている(この本が書かれた1963年頃、戦後量産された)「金ぴかで安っぽい」お雛さまだった。それを欲しがる少女と母の価値観は対立する。

雛人形とは、次世代に伝えたいさまざまな思いがかたちになった象徴のようなものだ。心のこもった見事なつくりの雛を見て育った母は、子どもの感性の基となるこの大切なものに対して、妥協できるわけがなかった。

毎年”ひなのつき”の頃になると、日本橋の「三井記念美術館」では「三井家のおひなさま」が開催される。私にとっては「京都国立博物館」で開催されるものと並ぶ、1年に1度の恒例となった見事な雛の展覧会だ。

江戸時代からの豪商で、後の三井財閥の当主一族三井家、その総領家に嫁いだ女性たちが実家より持参したものや、新たに誂えたものなど贅を尽くした雛人形や雛道具が並ぶさまは壮観。

「展示室1」には、大正期に撮影された北三井家の広間いっぱいに飾られた雛飾りの写真が掲げられている。
最上段中央の内離雛、右に有職雛、左に享保雛、御所人形や市松人形、そして西洋人形のビスクドールまで一堂に会した飾りつけは、まさに Doll’s Festival だ。
同室には、この写真に写った北三井家十代高棟夫人苞子(もとこ)旧蔵の内裏雛・有職雛、享保雛、次郎左衛門雛、雛道具など、さまざまな時代、さまざまな様式の雛を鑑賞できる構成になっている。

三井家代々の雛人形に加え、今年は御所人形の展示が充実している。

「内裏雛」 三世大木平藏(1834-1895)製 明治28年(1895)
写真:三井記念美術館蔵
「立雛」 江戸時代・文化12年(1815)
写真:三井記念美術館蔵

いつもの私のお目当ては、引目鉤鼻の次郎左衛門雛と、すっくと立つ江戸期の立雛の穏やかな丸顔、そして犬筥いぬばこの愛らしい笑顔だ。

今年は「虎屋のおひなさま」が、8年ぶりに「根津美術館」で展示されることになった。
こちらは虎屋十四代店主黒川光景が娘の算子かずこのために揃えたもので、京都の老舗人形店「丸平大木人形店」特製の京雛。そして圧倒されるのは息を飲むほど精巧につくられた雛道具の数々。その大半は上野池之端の七澤屋製で、牡丹唐草文の蒔絵を施したものだ。

虎屋は、室町時代後期に京都で創業した和菓子屋で、16世紀末の後陽成天皇在位中から御所に菓子を納める禁裏御用菓子屋として御所御用をつとめている。
その後、明治維新による京都から東京への遷都に伴い、東京へも進出した。十二代黒川光正の代の時だ。
黒川光景は明治32年(1899)に兄の十三代光正から店を引き継ぎ、昭和15年(1940)までの41年間、明治、大正、昭和を通じて店の経営指揮をとった。彼は書画骨董にも通じていて、菓子に関する研究も熱心に行ったそうだ。その時に集めた書籍や資料類は膨大な量にのぼり、これらはのちに虎屋文庫(虎屋の菓子資料室)の根幹となった。明治時代に求めた算子の雛がこの上なく気品があるのも、江戸時代の美術品のような雛道具の蒐集もそんな背景があってのことだ。

最上段には左右に稚児、中央に女雛と男雛その間に小さな犬筥(犬張子)。三人官女の並ぶ次の段の左には貝合わせの入った貝桶。最下段の右端には虎屋の紋が入った小さな雛井籠。
段飾り/株式会社虎屋蔵(パネル展示)
男雛・女雛/京都・丸平大木人形店製 日本・明治時代 19世紀 株式会社虎屋蔵
牡丹唐草文貝桶/日本・江戸時代 19世紀 株式会社虎屋蔵
雛菓子見本帳/日本・明治時代後期 19~20世紀 株式会社虎屋蔵
ほんの指先ほどの大きさだが、左右の犬の表情の違いに注目。
犬張子 日本・江戸~明治時代 19世紀 株式会社虎屋蔵

この展覧会でも、小さな小さな一対の犬筥(犬張子)を見つけた。

犬筥は、冒頭で触れた絵本『三月ひなのつき』の木彫りのお道具の中にも含まれていたが、作者の石井桃子は「おとぎ犬」と表現。
「これは犬というより、ねこがねむっているのに似た、かわいいおもちゃですが、ほんとは、なかががらん洞で、箱になっているのでした。むかしの人は、このような箱の中に、化粧道具やお札をしまって、魔よけにしたのだそうです」と書かれている。

母の寧楽雛を描写することで、雛人形の並べ方、道具類の意味や呼び名、雛の装束が千年の昔の風俗を写したものであることまで、やさしい筆致で読者である幼い子どもたちに伝えてくれる。

この絵本の挿画は、70年代以降は舞台美術家として活躍する朝倉摂が、画家としての力量をいかんなく発揮したもの。
彼女の正確なデッサンによって細部まで緻密に描かれた寧楽雛には、モデルとなった雛がある。石井桃子が1958年に自宅に開設したこども図書館「かつら文庫」にある段飾りの木彫りの雛がそれだ。

石井桃子は若い頃、当時の総理大臣・犬養毅の書庫整理をしていたことがある。1933年のクリスマスイブ、犬養家(毅の息子 政治家で作家の健の自宅)を訪ねると、子どもたちへのクリスマスプレゼントの中にA.A.ミルンの『The House at Pooh Corner』を見つけた。それを訳しながら子どもたちに読み聞かせたことが『熊のプーさん』『プー横丁にたった家』の翻訳出版へつながったという。その本は、前年に祖父の毅を暗殺によって亡くした子どもたちのために、西園寺公一が贈ったものだという。

「かつら文庫」の雛は犬養健の夫人仲子が、長女道子(後の評論家 犬養道子)の雛人形の中の一組を、この子どものための図書館の開設時に寄贈したものだ。
春が近づくと「かつら文庫」雛が飾られていると知り、見せていただくことにした。
雛段は本棚に囲まれた一隅に設えられ、開館当初と同じ姿で読書するこどもたちを見守り続けていた。

「かつら文庫」開館2年目(1959年)の2度目のひなまつり。子どもたちが一つひとつ雛段に飾ったもの。壁には折ひなの数々。
写真提供:(公財)東京子ども図書館
最上段の左右に飾られた犬筥(おとぎ犬)。棚の上には這子(ほうこ)人形。
写真提供:(公財)東京子ども図書館

絵本の少女のお雛様はどうなっただろう。
それは『三月ひなのつき』を手に取って最後まで読み通して欲しいので、ここにはあえて書かない。
ただ、母はお金を出せば買える出来合いのものは選ばなかった。
その結論に至った母の思いは、少女にしっかり受け止められ、生涯忘れることができない記憶となったに違いない。
石井桃子が考え抜いたこのエンディングは、何度読んでも心が震える。


<関連情報>

□三月ひなのつき 石井桃子 作 朝倉摂 絵 福音館書店 刊行
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=01-0018

□誠美堂 奈良一刀彫
http://www.hina-ningyou.com/shop/hina/dan/index.html#t01

□新版 折りびな  田中サタ 著 福音館書店
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=1441

□「三井家のおひなさま 特別展示 かわいい御所人形」
三井記念美術館にて/2020年2月8日~4月5日

http://www.mitsui-museum.jp/index.html

□京都国立博物館のお雛さま
3月22日まで特別展「雛まつりと人形」

https://www.kyohaku.go.jp/jp/project/hina_2020.html
https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/senshoku/hina.html

□「虎屋のおひなさま」
根津美術館にて/2020年2月22日~3月29日
会期中、根津美術館限定の虎屋の雛菓子も販売中。
※2/29-3/29まで臨時休館。開館日程の最新情報は、同館HPをご覧ください。

http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

□虎屋の雛菓子
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/products/event/
写真は期間限定の雛井籠

□島田耕園  御所人形 犬筥
http://www.shimada-kouen.com
https://fujingaho.ringbell.co.jp/shop/g/g052F-907/
https://fujingaho.ringbell.co.jp/shop/g/g079F-108/

□かつら文庫
児童文学者の石井桃子によって杉並区荻窪の自宅に開設された地域のこども対象のこども図書館。大人の見学者は公開日に事前予約を。石井桃子氏の書斎、『エルマーのぼうけん』などの翻訳で知られる渡辺茂男氏から寄贈された蔵書の書庫、アーディゾーニ資料などの展示室を案内してもらえる。
問い合わせは、かつら文庫を継承運営している東京子ども図書館へ。
館では、学校の休校などで、家にいる時間が長くなる子どもたちや保護者に向けて、 読み聞かせやお話などのYouTube 動画配信をはじめた。公式HPおよびFacebookから見ることができる。第1弾は、東京子ども図書館刊行の、愛蔵版おはなしのろうそく1『エパミナンダス』の中の1話、「エパミナンダス(S・C・ブライアント作 松岡享子訳 大社玲子絵)“https://youtu.be/7hzPyNlqNTk
第2弾は『うれしいさん かなしいさん』(まつおか きょうこ さく・え)
TEL : 03-3565-7711 火~土(祝日除く)10:00~17:00
http://www.tcl.or.jp/

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2020/02/29

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