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ホンマタカシ 東京と私 TOKYO AND ME (intimate)

Vol.32 日比野克彦(アーティスト)
PLACE/秀和青山レジデンス跡(渋谷区)

写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

渋谷
渋谷
日比野克彦
渋谷
日比野克彦
渋谷

Sounds of Tokyo 32. (Shuwa Aoyama Residence ruins)


岐阜の生まれで、 大学進学をきっかけに上京しました。
最初に住んだのは大学に近い八王子のアパートで、 そのあとに国立、 西国分寺、 吉祥寺と中央線沿いを少しずつ東に移動して、 大学を卒業したあとに借りた赤坂のアトリエには吉祥寺から通っていました。
その後1985年にアトリエとして購入したのが、 デザイナー仲間に紹介してもらった表参道の不動産屋に探してもらった中古物件。 昨年まで渋谷3丁目にあった集合住宅 「秀和青山レジデンス」 の一室です。

もともと、 渋谷は何かと縁のある街でした。
大学院生の時に、 当時新人アーティストの登竜門だったパルコ主催の 「日本グラフィック展」 の公募に応募して大賞をいただいたことをきっかけに、 最初の頃はパルコやセゾングループの仕事が中心でした。

当時お世話になっていたサブカルチャー誌 『ビックリハウス』 の事務所も渋谷の公園通りにありましたし、 渋谷にできたばかりだった 「LOFT」 の仕事、 NHKでは若者討論番組 「YOU」 の司会もさせてもらって。
1993年からは、 発足したばかりだったJリーグの 「Jリーグダイジェスト」 というBS番組のホストもしていました。
極端なことをいえば、 自分にとっては渋谷さえあれば仕事ができた、 そんな時代でした。

秀和青山レジデンスは最初の東京オリンピックが開催された年 (1964年) に竣工した建物で、 2度めの東京オリンピックが行われた2021年に老朽化のため取り壊されました。
まさに “オリンピックからオリンピックの間に存在した” 建築物ということになりますね。 ちなみに、 都内にいくつかある 「秀和レジデンス」 の第一号だったそうですよ。

僕が入居した80年代は空前のDCブランドブームで、 当時はアパレルメーカーのオフィスも多く入居していました。
当時、 八幡通りをはさんで向かいのビルには山本耀司さんのブランド 「Y’s」 のオフィスがあって、 ランチの時間になると全身黒い服を着た方たちがビルからバーッと出てきて通りを歩くんです。 アトリエの窓から見えたその光景が、 今も記憶に残っています。

隣のビルには当時珍しかった外国製のおしゃれなノートや文房具などデスク周りのものが売っている 「& C」 という雑貨屋さんもあって、 よく行っていました。 「金王八幡神社」 参道の横にある昔ながらの魚屋は、 今も健在ですよね。

作品は作家のアトリエから生まれるもの。
完成した作品はアトリエから外に出てギャラリーで展示されてはじめて、 鑑賞する人の目に触れることができます。
ギャラリーの主役は作品なので、 そこはいわば作家がいなくても成立する場所なんですよね。 だから作家である自分にとってギャラリーというのは、 実は少し居心地の悪い場所だったりします。

一方のアトリエは、 作家がいないと成立しない場所。
自分にとって一番わくわくするのは、 アトリエで作品が生まれる瞬間なんです。 だから、 「完成したものだけではなく、 その作品ができるまでのプロセスを体験することもアートの魅力を知ることに繋がるんじゃないか?」 と考えてきました。
そんなこともあって、 公開制作やワークショップ、 空間を活かしたアートプロジェクトを展開してきて、 それがその後の地域や社会を巻き込んだ活動へと繋がっていきました。

自分にとって秀和青山レジデンスのアトリエは沢山の作品を生み出してきた空間であり、 一日の多くの時間を過ごす “あって当たり前” の場所でした。
画材や道具など創作にまつわるありとあらゆるものがある場所だったので、 取り壊しが決まった時には 「無くなってしまうのか……」 という、 自分しかわかり得ない気持ち故の “ 他者と共有し得ないが、創造する魅力の重要な事” として、 しっかりと伝えるべき大切な視点であるという気持ちが湧いてきました。

マンションの取り壊しが決まった3年前、 「東京藝術大学文化財保存修復センター準備室」 と、 作品を保存するということは何を保存することなのかを問うリサーチプロジェクトとして「日比野克彦アトリエ保存プロジェクト」を発足し、 クラウドファンディングで多くの方に支援をいただきました。
なぜそこまでしたのか? 背景にあったのは、 先ほどお話した “作品とそのプロセスを体験することの関係性” への興味です。

アトリエ保存プロジェクトは、 作品そのものだけでなくアトリエがあった建物や街が作品に及ぼしたもの・ことも調査対象になっています。
渋谷という街の変容と僕が20代から50代を過ごしてきた渋谷をしっかりアーカイブすることで、 作品の背景も含めたその在り様が見えてくるのではないか? そんなことを想像しているところです。

秀和青山レジデンスに入居したのが1985年。
2022年までの37年間で、 渋谷という街はものすごい勢いで変化してきました。
このあたりで80年代当時と変わっていないのは、 金王八幡神社と並木橋、 そして高架はなくなったけど渋谷川くらいじゃないでしょうか。

渋谷の街は変化し続けています。 現在のこの建物も、 2024年に新しく建て直されます。 そんな中で、 また私は何をその場所でつくりはじめるのか……人と社会を繋ぐ街には興味が尽きません。


日比野克彦 Katsuhiko Hibino

1958年岐阜市生まれ。 1984年東京藝術大学大学院修了。 1982年日本グラフィック展大賞受賞。 平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞 (芸術振興部門)。 「明後日新聞社 文化事業部 / 明後日朝顔」 (2003年~現在) 、 「アジア代表」 (2006年~現在)、 「瀬戸内海底探査船美術館」 (2010年~現在)、 「種は船航海プロジェクト」 (2012年~現在) など、 地域性を生かしたアート活動を展開。 2014年より異なる背景を持った人たちの交流をはかるアートプログラム 「TURN」 を監修。 現在、 東京藝術大学学長、 岐阜県美術館長、 日本サッカー協会社会貢献委員会委員長を務める。

https://www.hibinospecial.com/

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2022/10/31

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