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ホンマタカシ 東京と私 TOKYO AND ME (intimate)

Vol.9 立花文穂(アーティスト)
PLACE/高円寺(杉並区)

写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

Sounds of Tokyo 09.(KOENJI Station <A windy day>)


今は東京と広島を行ったりきたりですが、大学進学をきっかけに広島から出てきて、もう東京のほうが長くなりましたね。
2008年に広島にも仕事場をつくって、そのタイミングで西荻窪から高円寺に仕事場を移しました。既に引き払いましたが、高円寺の駅から早稲田通りを抜けたところにある中野区大和町の小さな一軒家を仕事場にしていました。

それまでは一人で街に出ても喫茶店でコーヒーを飲むくらいだったのですが、高円寺に来てからは立ち飲みのワイン屋と「はらいそ」という同じ歳の人がやっている飲み屋に出会って、その2つの店がきっかけで一人でお酒を飲むようになりました。
午後3時にワイン屋に行って、夕方6時オープンのはらいそに行って、またワイン屋、はらいそへと行き来して、そこから別のお店……そして朝、という日もありました。
はらいそはハムエッグが旨いんですよ。向かいに人気の銭湯があるんだけど、僕はそこよりも少し離れるけど別の銭湯にはよく行っていました。

高円寺にいた時期はちょうど「ギンザグラフィックギャラリー」と大阪の「国立国際美術館」で大きい展覧会をやらせてもらった時の震災を挟んで8年くらいでした。
最後の頃は部屋の隅っこにブルーシートを敷いて石膏と水でびしゃびしゃにしながら彫刻をつくっていました。とにかく、人が呼べないくらいにぐっちゃぐちゃになってましたね。
そこを借りたのは広島で製本の仕事をしていた父が倒れたあとで、製本所の製本の機械をどうしようかという事になり、それを引き取って広島にも仕事場をつくり、頻繁に広島と東京を行き来するようになったんです。ギンザグラフィックギャラリーでの展示の時に、『風下』かざしもという父の製本所にまつわる本を自分で製本してつくりました。

東京に出てきた理由は、「家を出るには大学に行くしかない」と思っていたからです。今では広島からだと大阪とか福岡とか可能性は色々あるけど、その当時は美大といえば関東で、高校・浪人時代は東京に出るためだけに勉強をしていました。今となっては、あの頃なんであんなに東京にこだわっていたのかあまり覚えていません。

東京という街に関して改めて振り返ってみると、自分が思い入れのある店や場所はほとんど残っていません。
大和町の仕事場を離れてからは、「はらいそ」に来る以外は高円寺にほとんど足を踏み入れていませんね。最近は、もっぱら吉祥寺でしょうか。

大学ではじめて住んだ国分寺や仕事場がある西荻窪、学生の頃によく通った阿佐ヶ谷など中央線沿線はやはりホッとするんですが、高円寺は地場が強くていろんなジャンルの人たちが集まっていて、今の自分には心がザワザワします。

この夏につくった本『傘下』さんかは、今住んでいる東京と生まれ故郷である広島を撮影したもので構成しています。国会前で撮ったデモの写真もありますが、広島での出来事の風景が重なって見えたんです。原爆にしても憲法の問題にしても、結局みんなすぐに忘れるよね、という思いはあります。

東京に来てよかったのは、人との出会いに恵まれたこと。デザインやアートの業界でも、名のある大先輩のみなさんと近いところに居させてもらえるのは貴重です。そんなにしょっちゅうではないけど、仲條正義さんやホンマタカシさんをはじめ多くの先輩たちとお酒を飲みながら話を聞いたり話をしたりさせてもらえるのは、本当に奇跡のようなことです。


立花文穂 Fumio Tachibana

1968年、広島市生まれ。アーティスト。文字、紙、印刷、本を主な素材、テーマとして作品を制作。雑誌『球体』をはじめとした独自の本や印刷物をつくりだす一方で、美術作家として美術館やギャラリーでの展覧会も行っている。最新の写真集に『傘下』さんかがある。2020年12月13日まで群馬県立近代美術館での「佐賀町エキジビット・スペース1983-2000」展に参加している。

東京と私

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2020/09/30

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