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令和・かぞくの肖像 これは、これまでの時代、これからの時代における「社会×家族」の物語。

サルボ家の場合 Vol.5
彼女はまたがんになるかもしれない。でももう僕は大丈夫

東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。

写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

かぞくデータ
サルボ恭子さん(47歳・料理研究家)
サルボ・セルジュさん(夫・51歳・フランス語教師)
サルボ・ミカエルさん(長男・25歳・会社員)
サルボ・レイラさん(長女・23歳・准社員、塾講師)

取材日
Vol.1 「家族だけど母じゃないという時間がもたらしたもの」/2019年11月
Vol.2 「人はすべてをわかりあえないと知っている人の強さ」/2020年5月
Vol.3 「3人の親と、サプライズのバタークリームケーキ」/2020年10月
Vol.4 「来日27年。彼が日本で学んだものは」/2021年2月
Vol.5 2021年6月

かぞくプロフィール
フランス語教師、セルジュさんと32歳で結婚。前妻の二子、ミカエルさん(当時小3)、レイラさん(小1)と家族に。成人した子どもたちはそれぞれ自立。恭子さんは料理家13年目。昨年より実家の両親を呼び寄せ、二世帯住宅で暮らしはじめた。
Facebook:サルボ恭子 official
Instagram:@kyokosalbot


「我が家にはまた事件がありましたので報告です」という恭子さんからのラインには、ぜつがんが再発したので先日手術で切除した、と綴られていた。14年前と同じ場所だが、新しいがん細胞だという。当時、日本では数少ない舌に放射線針を刺したまま治療をする特殊な方法で、苦しいながらも寛解かんかいしたと聞いていた。衝撃はいかほどだったろうと胸が苦しくなったが、文面も実際取材した印象も驚くほど明るく、淡々としていた。

「4月に舌がピリピリしはじめ、検査を受けてがんの一歩手前とわかったのが5月下旬。じつはその2週間後に、同居している父の胃がんの手術が決まっていたので、自分のことより親のことで頭がいっぱいでした。とにかく心配させたくなかったのです」

 がんは初期段階で、形容するなら“ステージゼロ”。だが切除しないとステージが上がる。医師は、「お父さまの手術の前に、切除して退院してしまいましょう。ちょうど来週空いていますがどうですか。入院は5日ですみます」。夫のセルジュさんにも2~3日言えず、悩んだ。

「セルジュもフランスの実母がアルツハイマーで、コロナで会えないなか遠隔で老人施設を探すなど苦労しているところだったので。動揺するでしょうし、いっそ親にも夫にも言わずに内緒で入院して、地方出張に行ってきたと言おうかとさえ思いました」

 Instagramには1度入院のことをちらっと書いたが、病名は公表していない。6月2日に手術し、退院後3週間だが、冷静かつ率直に、自分と家族の間におきたことを語る。この強さはどこから来るのだろう。いや、簡単に「強い」などと一言でくくっていいのか。真意を探りながら、怒涛のようなこの1カ月を振り返ってもらった。


はじめて見る夫の号泣

 セルジュさんに告知したのは、口喧嘩のはずみだった。
「きみは、がんのお父さんのことで気を使いすぎる。彼にはパートナーがちゃんといるんだから、もっと任せたほうがいい」
 母も病弱だから私が頑張らないとと言い返し、互いにヒートアップ。
「それなら言わせてもらいますけど、私またがんになりましたので。入院して舌を切りますので後をよろしくおねがいします」
「はあ? また?」「どうしてくれるのよ」
 セルジュさんは思わずそう叫んだ後、号泣しはじめた。恭子が死んじゃう。ひとり残されるのはいやだ。

「結婚して18年ですが、彼があんなに泣くのをはじめて見ました。前のがんのときは、心配や悲しみが、じわじわっという感じだったので」
 実は最初の言葉の「また?」に内心笑ってしまったらしい。第一声がそれ? いたわりの言葉とかないわけ? と。それでぐっと心が楽になった。
「変に慰められたり悲しまれたりするより、どうしてくれるのと言われる方が気が楽。30分号泣したらすっきりしたらしく、ステージゼロも理解しました」

 クールダウンした彼が口を開いた。「両親には?」
「病気で弱っている親にとてもじゃないけど言えない。言いたくない」と拒否する彼女に、セルジュさんは断言した。
「お父さんお母さんのためにも言わないというのはないです。早いうちに二人で言うべきです」
 一日延ばしに渋る彼女を、「今日、食事後に言いましょう」と毎朝急き立てた。
 ある朝、ようやく二人で切り出すと、父は「あ、そうか」とひとこと。動揺するかと思っていた母も泣かず、「意外に平気そうでした」(恭子さん)。

 彼はその朝をこう振り返る。
「日本人はどんなときも取り乱さず、感情がフラット。お父さんのお母さんもすごいと思いました。とても真似できない。我々ならすぐ騒いだりパニックになります」

「彼がいなかったら両親には言わなかったと思います。それは彼のおかげ」と恭子さん。

 医師との面談が控えているため、恭子さんは彼に聞いた。
「治療法の説明に、家族も来てくださいと言われてるんだけど」
「来てほしいですか?」
 人に迷惑や心配をかけるのが人一倍嫌いで甘えベタの彼女が珍しく頭を下げた。
「ぜひお願いします」
「じゃあ二人で行きましょう!」

 病院では、恭子さん以上に彼が医者を質問攻めにしていた。

仕事をしないという選択肢はない

 取材で、セルジュさんに「号泣したそうですね」と言うと、ふふと笑って流された。
「がんは3回目も4回目もきっとあります。でももう大丈夫。僕は次は慌てませんよ」

 時間はかかるが味覚は戻るという医者の言葉を信じて、手術にのぞんだ。
 今は痛み止めを服用しながら、コロナで長らく閉めている料理教室の代わりに、通販事業に取り組んでいる。ペースを落としつつ仕事を再開しながら、改めて実感した。「舌を切除したからといって、仕事もキャリアも失うことにはならない」。

 とはいえ、舌の一部切除に迷いはなかったのだろうか。
「料理の仕事をしているのに、なんで二度も舌なんだろうと考えこむことはあります。でも、たとえ味覚が戻らなかったとしても、再発や転移をしたとしても、料理の仕事は続けられるという確信があります。そうなった時お仕事をいただけるかわかりませんが、私はただただ続けていくというだけです」

 彼女にとって料理はライフワークだ。がんになったから、舌を切ったから。どんな理由があろうと、「やらないという選択肢はない」(恭子さん)。

「病気だけじゃなくコロナもそう。世の中は変わりゆくし、思うようにいかなかったり、生きていればいろいろあるけれど、それでも私は食の仕事をやっていく、とお伝えしたくて全てをお話しました」

 隠すこともない。悲観もしていないし不幸でもない。がんは多くの人が罹る病気の一つである。これまでがそうであったように、これからも自分に正直に生きていきたい、食の仕事に打ち込んでいきたいとゆっくり言葉を紡ぐ。

 14年前の入院では小学生で、留守番をしていたミカエルさんは、今回は手術も退院も付き添った。
 その彼が、恭子さんに後からこっそり耳打ちした。
「手術の日、セルジュ君の顔が大変だったよ。こわばって、まるで死神みたいだった」

 強い人なんていない。セルジュさんだって彼女のいないところではガチガチだったし、恭子さんだって彼がいなかったら一人で抱えこみ孤独に病気と対峙していたかもしれない。いつもは便りの少ないレイラさんも、今も頻繁にラインで容態を気遣ってくる。
 夫、親、子どもたちがいたから、自分のことをいつでも後回しにしがちな性分でも、なんとか早期の治療に踏み切れたのだ。

 サルボ家のひと月の物語が、ままならぬできごとで何かを諦めたり、希望を失いかけている誰かの力に、少しでもなれば嬉しい。彼女の今回の自己開示には、そんな願いも込められている気がしてならない。

サルボ恭子さん一家の取材写真
サルボ恭子さん一家の取材写真
サルボ恭子さん一家の取材写真
サルボ恭子さん一家の取材写真
サルボ恭子さん一家の取材写真
サルボ恭子さん一家の取材写真

Vol.6へ続く

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2021/07/08

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