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第59回:ゲルハルト・リヒター展/意味のあるかたち、意味のないかたち

Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。


2005年に「金沢21世紀美術館」の開館1周年で開催された『ゲルハルト・リヒター:鏡の絵画』展以来、日本では16年ぶりとなる美術館での個展だという。

彼の表現は油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐多彩で、彼のアートの履歴を知らない人は同一作家の作品だと認識することが難しいに違いない。

ゲルハルト・リヒター
左)写真:筆者提供 中)ゲルハルト・リヒター《鏡、血のような赤(CR: 736-4)》 1991年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 顔料、ガラス 89×92cm © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供 右)ゲルハルト・リヒター《黒、赤、金(CR: 856-7)》 1999年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 合成樹脂塗料、ガラス 99×99cm © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供
ゲルハルト・リヒター
Photo: Dietmar Elger, courtesy of the Gerhard Richter Archive Dresden  © Gerhard Richter 2022 (07062022)

今回の個展は、今年90歳を迎えたリヒター自身が手元においてきた初期作から最近作のドローイングまで自らの財団所蔵の作品を中心に122点を選び、展示方法まで指示したそうだ。
写真を忠実に描くフォト・ペインティング作品「モーターボート」(1965年)から、1966年にはじめて製作された「カラーチャート」シリーズ、1976年以降にはじめたアブストラクト・ペインティング、ポラロイドへのペイント、今年の最新作のドローイングまで多種多様な作品を紹介する。そして最も注目すべき近作「ビルケナウ」(2014年)は日本初公開だ。

ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《モーターボート(第1ヴァージョン)(CR: 79a)》 1965年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 油彩、キャンバス 169.5×169.5cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《4900の色彩(CR: 901)》 2007年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 ラッカー、アルディボンド、196枚のパネル 680×680cm パネル各48.5×48.5cm  © Gerhard Richter 2022 (07062022)
ゲルハルト・リヒター
© Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《1998年2月14日》 1998年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 油彩、写真 10.0×14.8cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《2021年8月17日》 2021年 作家蔵 グラファイト、紙 21×29.7cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)

「8枚のガラス」をはじめ、いくつかの作品は六本木にあるギャラリー「WAKO WORKS OF ART」で出会ったことがあるが、ほとんどがはじめて目の当たりにする作品ばかりだ。

ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《8枚のガラス(CR: 928)》 2012年 ワコウ・ワークス・オブ・アート蔵 8枚のアンテリオ・ガラス、スチール 230×160×350cm  Photo: Takahiro Igarashi © Gerhard Richter 2022(07062022)
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《8枚のガラス(CR: 928)》 2012年 ワコウ・ワークス・オブ・アート蔵 8枚のアンテリオ・ガラス、スチール 230×160×350cm © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供
ゲルハルト・リヒター
© Gerhard Richter 2022 (07062022) 撮影:山本倫子

「頭蓋骨」(1983年)、「花」(1992年)、幼い頃の息子を描いた「モーリッツ」(2000/2001/2019年)、「ヴァルトハウス」(2004年)、リヒターの妻の肖像「エラ」(2007年)など静物画や風景画、肖像画の架けられた部屋は静かなひんやりとした空気に満たされているように感じた。

ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《頭蓋骨(CR: 548-1)》 1983年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 油彩、キャンバス 55×50cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《花(CR: 764-2)》 1992年 作家蔵 油彩、キャンバス 41×51cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)
ゲルハルト・リヒター
© Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《モーリッツ(CR: 863-3)》2000/2001/2019年 作家蔵 油彩、キャンバス 62×52cm © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《エラ(CR: 903-1)》 2007年 作家蔵 油彩、キャンバス 40×31cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)

「ビルケナウ」とはアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所のゾンダーコマンド(特別労務班)によって隠し撮りされた写真4葉を描き写した4枚の絵が下絵になり、その上にリヒターが幾度も絵の具を塗り重ねたものだ。

“ゾンダーコマンド”の存在を知ったのは最近で、2020年の「NHKスペシャル アウシュビッツ 死者たちの告白」というドキュメンタリーを見てからだ。

ゲルハルト・リヒター
左)ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-1)》 左から2つめ)ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-2)》 左から3つめ)ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-3)》 右)ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-4)》 2014年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 油彩、キャンバス 各260×200cm  © Gerhard Richter 2022 (07062022)
ゲルハルト・リヒター
© Gerhard Richter 2022 (07062022) 撮影:山本倫子 

ユダヤ人でありながらナチスの大量虐殺に強制的に加担させられた「ゾンダーコマンド」と呼ばれた人たちが、ナチスの行った行為の証拠を命をかけてメモに残し、地中深く埋めた。それは1945年から8回に渡って発見され、番組は謎のメモを解析し、書き残した人をも特定していく内容だった。
その番組でもゾンダーコマンドが強いられた任務を隠し撮りした写真が紹介されたが、その写真の1枚がリヒター作品の元絵にも含まれていた。
リヒターが写真を描き写した後、どのような経過でこの絵になったのかは展覧会ではわからないが、展覧会図録のP142~143の見開きには4点で構成される《ビルケナウ》のうち1点(CR:937-2)における8つの過程が掲載されている。
2014年7月15日の鉛筆の下絵から8月25日の完成まで、8枚に渡ってその変遷が示されていた。

写真はフォト・ペインティングになった後、肌色、黒、赤、緑、そして白、黒が重ねられ削り取られ、塗り込まれてしまっている。
ドイツ人であるリヒターにとって、ホロコーストの贖罪と鎮魂をアートによって昇華させるためには、意味のあるモチーフ=写真をあえて消し去ることが重要だったのかもしれない。

「ストリップ」(2013~2016年)というマルチカラーのストライプ作品は、2m×10mもある大作だ。
これは、1990年に製作されたアブストラクト・ペインティングをスキャンしたデジタル画像を縦に2等分し、さらにそれを2等分することを12回繰り返して4096分の1の幅0.3mmほどの細い色の帯をつくり、それを取捨選択したり並べ替えてデジタル上で合成し出力したものだそうだ。
パターンをランダムにして、どんなモチーフをも見いだせないように組み上げることに腐心したという。

ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《ストリップ(CR:930-3)》 ゲルハルト・リヒター財団蔵 デジタルプリント、アルディボンド、アクリル(ディアセック)200×1000mm © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供

色をランダムに組み合わせる際に偶然に現れる意味のあるモチーフを避ける作業は、彼の作品として有名な「カラーチャート」シリーズでも行っていることだそうだ。

ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《4900の色彩(CR: 901)》 2007年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 ラッカー、アルディボンド、196枚のパネル © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供
ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《4900の色彩(CR: 901)》 2007年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 ラッカー、アルディボンド、196枚のパネル © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供

「カラーチャート」はその名の通り既製品の色見本の色彩を基に構成したもので、やはりモチーフにならないように組み立てられている。
私が見たリヒター作品で最大のものはステンドグラスの窓で、ケルン大聖堂の南翼にあった。

YouTube>>Gerhard Richter, 'Cathedral Window, 2007'

9.6cm×9.6cmの72色の11,263個のガラスの正方形がランダムに配置された106㎡もの面積がある「カラーチャート」で、2007年に公開されて以来賛否両論、私が行った2011年でも見物客で溢れかえっていた。

https://www.gerhard-richter.com/en/art/other/glass-and-mirrors-105/cologne-cathedral-window-14890

ゲルハルト・リヒター
写真:筆者提供
ゲルハルト・リヒター
写真:筆者提供

4世紀に建てられた大聖堂は何度も被災し、その都度再建されたが第二次世界大戦時の連合軍の空襲で南翼のステンドグラスは破壊され、戦後取り付けられた窓は光を通しすぎたという。
21世紀になって、教会はビルケナウで他の収容者の代わりに餓死を選んだマキシミリアノ・コルベ神父、ガス室へ送られた修道女エーディト・シュタインなど、20世紀のドイツ人カソリック殉教者を記念することを計画。教会は彼らをモチーフにしたデザインを却下し、新たにリヒターに窓のデザインを依頼した。リヒターは具体性、意味性を排した「カラーチャート」の色と光だけでこの窓を構成したのだ。

限られた意味を淘汰することで無限の意味が生まれる。
「ビルケナウ」の写真を絵の具で覆ったことは、これにも通じるような気がした。

この展覧会は豊田市美術館にも巡回する予定だそうだ。
以前豊田市美術館に行った時、ミュージアムショップで「カラーチャート」をモチーフにした「loqi」のエコバッグに出会った時は狂喜したものだ。
これを使う時、ケルンの大聖堂の窓を思い出すから。
展覧会後、必ずミュージアム・ショップを覗くのはこういう余禄があるからだ。

抽象作品を前にすると、人はその意味や具体的なイメージを必死になって探そうとする。
リヒターはその手がかりをことごとく消し去る名手だと思う。
受け手の脳裏で行われる推論や仮想に意味があると言わんばかりだ。
オーバーフォーカスで撮影された焦点の合わないフィルムを前に、そんなことを考えさせられた。

ゲルハルト・リヒター
ゲルハルト・リヒター《フィルム:フォルカー・ブラトケ》1966年 個人蔵 16ミリの白黒フィルム 14分32秒 © Gerhard Richter 2022 (07062022) 写真:筆者提供

冒頭写真:ゲルハルト・リヒター《4900の色彩(CR: 901)》 2007年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 ラッカー、アルディボンド、196枚のパネル(パネル各48.5×48.5cm)
© Gerhard Richter 2022 (07062022) 撮影:山本倫子


<関連情報>

□東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」
https://richter.exhibit.jp/
会期:2022年6月7日(火)~2022年10月2日(日)
開館時間:10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)*入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日[但し7月18日、9月19日は開館]、7月19日(火)、9月20日(火)
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

□豊田市美術館「ゲルハルト・リヒター展」
会期:2022年10月15日(土)~2023年1月29日(土)
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/gr_2022-23/?t=plan

□ドキュメンタリー映画/Gerhard Richter Painting(2011)
https://www.youtube.com/watch?v=A6mOJu6lUzI
https://www.imdb.com/video/vi3475677465/?playlistId=tt1982113&ref_=tt_ov_vi
https://www.youtube.com/watch?v=ES3a4lFBtd4

□ケルン大聖堂 Kölner Dom
https://www.koelner-dom.de/en


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2022/06/27

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