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TOKYO BUCKET LIST. 都市の愉しみ方 お菓子から建築、アートまで歩いて探す愉しみいろいろ。

第57回:吉阪隆正よしざかたかまさ展と大学セミナーハウス

Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。


「ひげから地球へ、パノラみる」。これが吉阪隆正展の副題だ。
“パノラみる”って何?

そして入口のパネルには吉阪らしいシルエットと漫画のような顔。
おかしな“イキモノ”の絵が壁から逃げ出したように床に描かれている。
これはいったい何?

吉阪隆正
吉阪隆正
 写真:筆者提供
吉阪隆正
自画像《一筆描きのタカ》1979年 ⓒ吉阪隆正

入口から「?」がいっぱい。
パネルの裏には、こう書いてある。

——自分たちの美しいものを手に入れたとき
ひとびとはこころにほこりをもつ
ひげから国土までそれをもとめたい

発見のための視点と視野
実現のための手段と工夫
どれがいいのか
それをみんなでみつけよう

1975年

このひらがなの多い吉阪の言葉と、あの変な”イキモノ”の絵に添えてこんな文章があった。

吉阪隆正
《乾燥なめくじ》1966年 ⓒ吉阪隆正

——今、吉阪はかんそうナメクジだ。
地の底を、ごそごそ這いまわる。
空の高みから、地球を俯瞰し、
世界を見つめる。旅に終わりはない。
くりかえし、くりかえす。

始祖鳥蘇る 樋口裕康 2015年

”パノラみる”とは地球を俯瞰する視点。
変なイキモノはどうも吉阪の化身“かんそうナメクジ”らしい。
漫画のような顔は一筆描きの吉阪の似顔絵だ。
はじまりからの「?」が少し解消され、また新しい「?」が増えていく。

吉阪隆正
写真:筆者提供

この壁面に書かれているのは「感覚尺」「身体尺」「歩行尺」「時間尺」「地球尺」などで、吉阪が自分を取り巻く世界をどのような「尺度」で把握し、そこから何を発想したのかがまとめられている。

「第1章:出発点」の展示室に、また新しい「?」だ。
中央のこの巨大なメビウスの輪は何?

吉阪隆正
写真:筆者提供

吉阪がアルゼンチンのツクマン市の山麓に滞在した時に、山上に住むインディオたちの天地創造の神話を「宇為火(ウイカ)タチノオハナシ」として集印帖のような絵本にしたものをくるりとひねって、メビウスの輪状態にしたものだという。なるほど。

その向こうに見えるのが年表で、幼少の頃から父の赴任先のスイス・ジュネーブで育ったことや英国留学を経験したこと、今和次郎に師事した学生時代や、33歳で妻子を日本に置いてフランス留学をし、ル・コルビュジエのアトリエで働いた時期などが記されている。

吉阪隆正
写真:筆者提供
吉阪隆正
写真:筆者提供

吉阪隆正は、前川國男、坂倉準三と並ぶル・コルビュジエの三人の日本人弟子の一人として有名だ。
彼がル・コルビュジエのアトリエにいた1950~52年は第二次世界大戦後の戦後復興の時期で、建設中だったマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」(1945~1952年)、「ロンシャンの礼拝堂」(1955年)、「チャンディガール新州都計画」(1950年~)、「ラ・トゥーレットの修道院」(1960年)の依頼を受けていた時期だ。

インドからバルクリシュナ・ドーシ、後に現代音楽家として活躍するヤニス・クセナキスがスタッフとして在籍していた時期と重なる。マルセイユの海とユニテ・ダビタシオン、ロンシャンの礼拝堂、チャンディガールの立法議会議事堂内、アーメダバードのサンスカル・ケンドラ美術館、繊維業会館などを写真家 北田英治の写真で紹介している。

吉阪隆正
左)ル・コルビュジエの作品群。左からマルセイユの海、ユニテ・ダビタシオンの屋上のプール、ロンシャンの教会、チャンディガールの議事堂内、アーメダバードのサンスカル・ケンドラ美術館と繊維業会館。右)1955年に来日したル・コルビュジエと吉阪。中下の写真は百人町の吉阪自邸を訪れたル・コルビュジエ。 写真:筆者提供
吉阪隆正
吉阪に贈られた、カップ・マルタンの海岸で拾った石にル・コルビュジエが描いた絵。ル・コルビュジェは1965年にカップ・マルタンの海で海水浴中に78歳で死去した。 写真:筆者提供

吉阪はフランスから帰国後、新宿百人町に自邸を建てた。次の「第2章:ある住居」の展示室には、壁面一杯に引き伸ばされた1階から3階までの吉阪邸の人物入り断面図が天井高全てを使って原寸展示されている。
模型の置かれた空間は、この自邸前の庭と同じ面積だという。これも驚きの一つだ。
「国立西洋美術館」建設の敷地を見るために来日したル・コルビュジエも、完成直後のこの家を訪れているという。

吉阪隆正
《吉阪自邸》1955年 (撮影:北田英治、1982年)
吉阪隆正
左)自邸の模型。1階はピロティ、外階段を登った2階には広いテラスがある3階建ての構造で、竣工時は屋上に屋根はなかった。煉瓦を組み込んだコンクリートブロックが室内空間を生み出す構造だ。右)入り口に掲げられた禅語。「心は万境に随って転ず 転処実によく幽なり 流れに随って性を認得すれば 喜びもなくまた憂いもなし」 禅宗伝法祖師22祖の摩拏羅(まぬら)尊者の伝法の偈。 写真:筆者提供
吉阪隆正
左)展示室の天井高(7m)一杯に貼られた吉阪自邸の1/1断面図。右)自邸での吉阪の等身大写真。 写真:筆者提供
吉阪隆正
自邸の庭に置かれていた≪哲学するトラ≫と≪サイコロ世界地図が描かれた吉阪のトランク≫。 写真:筆者提供

そして次の「第3章:建築の発想」では、吉阪の代表的な作品の数々が紹介されている。
「ヴェネチア・ヴィエンナーレ日本館」(1956年)、「江津市庁舎」(1962年)、「アテネ・フランセ」(1962年)、同じくお茶の水にあった「日仏会館」(1960年)は1995年に解体されたが、そこから救い出された建物のディテールや家具などもあった。

吉阪隆正
《ヴェネチア・ビエンナーレ日本館》1956年 (撮影:北田英治、1997年)
吉阪隆正
《江津市庁舎》1962年 (撮影:北田英治、1994年)
吉阪隆正
ありし日の日仏会館。 写真:筆者提供
吉阪隆正
日仏会館で使われていたテーブルや椅子は吉阪デザインによるもの。タイルや手すりなどのディテールもよくわかる展示だ。タイルについては吉阪が「日仏両国の結びつきの妙なることを形にあらわしてみたかった」「それは日仏をローマ字でFとJとして組み合わせてある 『近代建築』1960年」と書いているので近寄ってみてほしい。 写真:筆者提供
吉阪隆正
写真:筆者提供

そして圧巻なのが「大学セミナー・ハウス」(1965年)。
ピラミッドを逆さにして大地に打ち込んだような本館のフォルムに、衝撃を受けない人はいないはずだ。
しかしこの建築がどのような場所にどんな役割で建てられたのか知る人は少ないのではないだろうか? 1/50の大きな油土模型でその全貌が明らかにされる。

高低差のある多摩丘陵の約2万坪もの広大な敷地に点在する様々な建物群、その第1期工事から7期の1979年頃の模型だ。その後このプロジェクトがどのように発展したのかが知りたくなる。
写真の中にある、あの“目”はいったい何?

吉阪隆正
《大学セミナー・ハウス 本館》1965年 (撮影:北田英治、1997年)
吉阪隆正
「大学セミナー・ハウス」の展示。 写真:筆者提供
吉阪隆正
これが「大学セミナー・ハウス」本館の模型。 写真:筆者提供

そして目を転ずると、不思議なキノコのような木組みが目をひく。アルピニストとしても知られる吉阪はさまざまな山岳建築にも取り組んでいた。それを紹介するのが「第4章:山岳・雪氷・建築」で、この木組みは雪が屋根に積もらないようにと考えられたヒュッテの1/3スケールの模型だそうだ。

吉阪隆正
雪が屋根に積もらないようにドーム型の形状をした《黒沢池ヒュッテ 構造模型 Scale1:3》の模型と「野沢温泉ロッジ」など山岳建築の数々。 写真:筆者提供

吉阪は一枚の紙が折り畳まれている集印帖をフィールドノートのように使っていた。
その集印帖に描かれたスケッチの数々。第5章は北米大陸横断とアフリカ大陸横断の探検紀行など世界中の旅の記録を展示する「原始境から文明境へ」。第6章は、寝食を忘れて好きなことに打ち込む本気の遊びを実践していた吉阪の「あそびのすすめ」。

そして最後の章「有形学へ」の展示室には、天地が逆さになった日本地図や天井から四角い地球が吊るされている。
早稲田大学大学院で都市計画の研究を行う吉阪研究室は、国内外で様々な調査を行い独自の理論を展開したそうだ。
都市や地域、人類が抱える社会的な問題を解決するために提案されたユニークな計画の数々は、吉阪が未来を考えるため地球を常識にとらわれずに“パノラみた”視点から生まれたものばかりだ。
展示構成に携わった吉阪の主宰したアトリエ「U研究室」の元在籍者である齊藤祐子と嶋田幸男が開館前に記者会見で「建築関係の人というより一般の人が見て楽しんだり元気が出る展示」と言っていた通り、吉阪の脳内を巡るワンダーランドのような展覧会だった。

吉阪隆正
《サイコロ世界地図》1942年 ⓒ吉阪隆正
吉阪隆正
「北を上にした日本列島の描かれ方を常識として眺めていると、人間は潜在的に重力の重さの働きを感じ、メガロポリスの東海道に人が集中して溜まるのを当然と考えてしまう」。そのために吉阪は地図を逆さにし発想を逆転させようとした。右は「東京・まちのすがたの提案」(1976年)の表紙、後に「生命の綱の曼荼羅」と命名。 写真:筆者提供
吉阪隆正
「山手は森へ、臨海は海へ」山手線内の土地を森のように原始化することができれば市街が再生するという吉阪の東京再生論。 写真:筆者提供

さて、GW明けに吉阪の代表作とも言える「大学セミナー・ハウス」を訪ねてみることにした。

建設前は雑木林とススキが生い茂る起伏に富んだ丘陵だったそうだが今は豊かな緑に覆われている。 公道からの急な坂道を登るとその先に見えてくるのが本館だ。

吉阪隆正
写真:筆者提供
吉阪隆正
黄色いブリッジは「大学セミナー・ハウス」の最も高い丘へ本館の最上階から架けられた橋。 写真:筆者提供
吉阪隆正
写真:筆者提供
吉阪隆正
左は本館の変形の窓。右は天井のトップライト。 写真:筆者提供
吉阪隆正
本館1階ロビーの床。 写真:筆者提供
吉阪隆正
大学や企業の宿泊・教育研修施設「大学セミナー・ハウス」の創設者・飯田宗一郎の書いたワーズワースの言葉「思想は高潔に、生活は簡素に」。 写真:筆者提供
吉阪隆正
女性用トイレの壁のタイル。 写真:筆者提供
吉阪隆正
1階ロビーの夜間用出入り口のドアの取手。内側は渦巻き状で外側は雫形に曲げられた鉄筋。 写真:筆者提供

1965年の第1期工事から20年以上を経た第8期工事まで増築され続けた結果、点在する数々の棟。地形は損なわず、昔の村道や山道を生かした自然に沿った建築ばかりだ。

吉阪隆正
左)図書館の外壁にレリーフとして彫られた大学セミナー・ハウスの樹木と葉をデザインしたシンボルマーク。右)ピラミッド型の中央セミナー室。 写真:筆者提供
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左)高台の本館を望む谷に架けられた茅橋。右)ユニットハウス。第1期工事では100棟のユニットハウスがあった。 写真:筆者提供
吉阪隆正
記念館を望む野外ステージ。開館20周年を記念して建てられた記念館(竣工時はインターナショナル・ロッジ)は第8期工事のもの。第5期工事でできた野外ステージはベンチ席を丘の斜面を生かして据えられている。吉阪の死後の工事はU研究室によるものだった。 写真:筆者提供

あの謎めいた“目”は本館のここにあった。
多摩丘陵の高台から何を見ているかというと、徐々に八王子のこの自然に迫り来る都市化の波かもしれない。

吉阪隆正
本館の最上階から見下ろす「目」。 写真:筆者提供
吉阪隆正
写真:筆者提供


<関連情報>

□大学セミナーハウス
住所:東京都八王子市下柚木1987-1
https://iush.jp

□アテネ・フランセ
住所:東京都千代田区神田駿河台2-11
https://athenee.jp

アテネ

□おすすめの関連書籍
『吉阪隆正|大学セミナーハウス』齊藤祐子/編著 北田英治/写真(建築資料研究社刊)
https://www.kskpub.com/book/b478403.html

『好きなことはやらずにはいられない 吉阪隆正との対話』アルキテクト/編(建築技術 刊)
http://www.k-gijutsu.co.jp/products/detail.php?product_id=836

『吉阪隆正とル・コルビジュエ』倉方俊輔/著(王国社刊)
https://www.amazon.co.jp/吉阪隆正とル・コルビュジエ-倉方-俊輔/dp/4860730291


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2022/05/18

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