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ホンマタカシ 東京と私 TOKYO AND ME (intimate)

Vol.39 青柳拓次 (音楽家)
PLACE/中野駅周辺 (中野区)

写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA) 

青柳拓次
ホンマタカシ
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青柳拓次
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Sounds of Tokyo 39. (Nakano Sun Mall Shopping Street)


母方の家族が中野に縁があり、 生まれてから5歳まで中野で暮らしました。
今でも東京の中では庶民的なイメージが強い街ですが、 僕が小さな頃はその色がさらに濃くて、 まさに “昭和” な街並みが広がっていました。

駅前の公園で兄や親戚の子と日が暮れるまで遊んだこと、 祖父母の家の近くにあったプラネタリウムに行ったことなど色々な思い出がありますが、 中でも強く印象に残っているのは商店街の秋祭りの情景。
神輿の賑わいに心が踊り、 太鼓を叩く人たちのことを羨ましく思ったことを、 今でも鮮明に覚えています。

祖父母の家が駅南口から4~5分のところに、 親戚の家族もその近所に住んでいたので、 中野という大きな街の中にある小さな集落にいたような感覚でした。
今思い出しても幸せな記憶というか、 いい子ども時代だったなぁって思いますよ。

父はクラシックギターの専門店を、 祖父と母は自宅でギター教室をやっていたので文字通り音楽に囲まれた生活でしたが、 今思い返してみると自分にとってもう一つの音楽の原体験は祭りの太鼓の音だったのだと思います。
あの時の気持ちが後に 「色々な国の、 その場所にしかない “音” を知りたい」 という想いに繋がっていきましたから。

中野を離れた後、 神奈川県の川崎市に引っ越しました。

その頃からだんだんと洋楽、 特にロックに興味を持つようになり、 中学生の時にはじめて外国へ行きました。
父の店で扱うクラシックギターを買い付けるために母がスペインに行くというので、 荷物持ちとしてついていくことになったんです。

マドリードやバルセロナの工房をあちこちまわりながら、 母が楽器を選んで試し弾きをして、 いいものを見つけたら購入して、 それを僕が持って。

お店の人も戸惑ったと思いますよ (笑)。 小柄な東洋人の女性が突然子どもと一緒にやってきて、 結構値の張るギターを弾かせてくれって言うわけですから。
でも母親が試し弾きをはじめると、 みんな 「おおーっ!」 ってなるんです。 まさに音楽が国境を超える様子を目の当たりにして、 なんかいいな、 と思いましたね。

1990年に 「リトル・クリーチャーズ」 としてデビューして2か月後に、 生活の拠点をイギリスに移しました。
自分が好きなワールドミュージックを、 リアルに体感できる国でしっかり自分の中に吸収しておきたいと思ったからです。
タイミングがタイミングだったので周りからは驚かれましたけど、 自分の将来のためというか、 そうすることで音楽を長く続けていけるのではないかと思っての挑戦でした。

イギリスでの生活がきっかけになり、 それ以降も様々な国を訪れました。
土着的な音楽やその国のルーツといったことへの興味は増す一方で、 今もそれを追いかけながら音楽を続けています。
東京にも土着的な音楽というものが当然あって、 それが僕にとっては 「祭りの音」。
原体験として中野の祭りがあるわけですけど、 東京を離れた後も折をみて浅草など東京の音を体感できる場所に意識的に顔を出すようにしてきました。

2019年に仕事の拠点を中野に移す前は沖縄で8年暮らしていたのですが、 久しぶりの中野はずいぶんと変わって見えましたね。
特に自分のテリトリーだった駅周辺は開発が進んで、 小さな頃遊んでいた謎に広い広場や、 子どもだけで賑やかに遊ぶ光景をすっかり見かけなくなってしまいました。

中野がというより、 東京全体が変わったのかもしれません。
時々 「東京ってこんな街だったっけ?」 と思ったりもしますけど、 それでも東京に似た街は世界中どこを探しても無いと思うし、 唯一無二の都市だと思います。

東京に戻って仕事のための物件を探した時、 かつて祖父が仕事場として使っていた防音仕様の部屋が空いていたので、 そこを使わせてもらうことにしました。
最近はその部屋で、 ソロアルバム用の作曲とライブのための練習をしてきました。 歌は入れずにギターだけでつくるシンプルな作品です。

小学生の頃にロックに興味を持って以来、 自分なりに良いと思う音楽をやってきましたけど、 今このタイミングで祖父や母親がずっとやってきた “ギター1本” で奏でる音楽を、 中野でつくり上げたというのは何だか感慨深いものがあります。
色々な場所を巡り巡って、 自分のルーツともいえるこの街に戻ってきたんだなぁと。

原点に還る場所を残してくれた、 じいさんに感謝ですね。


青柳拓次 Takuji Aoyagi

音楽家。 1971年東京生まれ。 1990年にバンド 「Little Creatures」 でメジャーデビュー。 映画、 舞台音楽を手掛け、 ワークショップ 「CIRCLE VOICE」 を主催。 今年Takuji名義でのソロギターアルバムをリリース。

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2023/05/31

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