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ホンマタカシ 東京と私 TOKYO AND ME (intimate)

Vol.30 前田エマ (モデル)
PLACE/多摩川の向こうに見える東京

写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

前田エマ
前田エマ
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前田エマ

Sounds of Tokyo 30. (Maruko Bridge at sunset)


“橋を渡ったら東京” という、 川崎と東京の境界のような街で生まれ育ちました。

両親の仕事の関係で、 小さな頃からよく東京に行く機会がありました。 日常的に出かけるのは渋谷周辺が多かったです。 当時は渋谷に児童館や 「こどもの城」 があって、 表参道の 「クレヨンハウス」 でも、 よく絵本を買ってもらいました。
祖母が住んでいる横浜にもよく遊びに行って、 デパートに連れて行ってもらうのが何よりも好きでした。 なので幼少期は “川崎に住んでいる” という意識はほぼありませんでした。

両親が共働きだったので地元の市営の保育園に通っていたのですが、 そこにはさまざまなルーツを持つ子や親がシングルマザーの子も沢山いて、 子どもなりに 「いろいろなおうちがあるんだなあ」 と、 なんとなく感じていた記憶があります。

でも、 それが特別なことだとは少しも思わなかったです。
私は両親の仕事が終わるのが夜遅い日などは、 保育園が終わった後に日替わりでいろいろな友だちの家に預けられたり、 晩ごはんを友だちの家で食べることも多かったんですね。 そこでいろいろな家庭の日常を垣間見たことは、 とても大切な体験だったと思います。

その後通った地元の小学校は社宅に住んでいる教育熱心な家庭の子どもが多くて、 生徒の 2/3 が中学受験をするような学校でした。 クラスメートの多くが放課後は塾に通っていたこともあって、 一緒に遊んでくれるような友だちはあまりいませんでしたね。
なので私の母は 「なるべく一人で過ごす時間が少なくなるように」 と、 たくさんの習い事をさせてくれて、 習い事に通うために週に何度も東京へ行くようになりました。

私は地元の公立中学校に進学したのですが、 そこには根っからの地元民が多かったんです。 先祖代々この地に住んでいる子や、 魚屋や豆腐屋、 とんかつ屋やスナックなど、 この街で商売をしている家庭の子がたくさんいました。 やんちゃな子も多くて、すごく新鮮で面白かったです。
私はテニス部だったのですが、 川崎の中学同士の対戦試合になると茶髪や金髪の子がいる学校とも交流があったりして、 ドラマ 「ごくせん」 のような世界が広がっていました。 ちょっと派手な子たちと練習試合で仲良くなって、 その後文通をしたりもしました(笑)。

川崎よりも東京との接点が圧倒的に多かった小学生時代とは打って変わって、 地元中心の生活になりました。
よく遊びに行ったのは JR 川崎駅のそばにある 「チネチッタ川崎」 や 「ラゾーナ川崎」、 あとは溝の口。 中学生のタイミングで、 私は “川崎” という場所をはじめて知ったわけです。 そこには、 私が知っている東京とは違う世界がありました。
川崎駅から少し歩くと簡易宿泊所などが立ち並ぶエリアなどもあって、 独特の緊張感がありました。 しかも、 当時の川崎は今よりももっとごちゃっとしていましたし。
原宿でクレープを食べるよりも川崎の街を歩く方が断然ドキドキしたし、 あの時の感覚は今も忘れることはできません。

高校は東京の私立高校に進学したのですが、 それをきっかけに 「東京と川崎はなんだかちょっと違うのかもしれない」 ということを少しずつ感じるようになりました。

その高校には川崎出身の子も多く通っていて、 当時は気にしたことはなかったけれど、 今思うと私が仲良くなる子のほとんどは川崎の子でした。 そして、 なぜか中退してしまう子が多かった。
今ならその理由が何となくわかる気がします。
川崎と東京って物理的な距離は近いけど、 やっぱり別物なんだな、 と。

私自身も、 高校には全く馴染めませんでした。
とにかく学校に行きたくなくて、 3時間目や午後から登校することも多かったです。 学校には行かずに多摩川の土手をふらふら歩いて時間を潰すことも少なくありませんでした。

子どもの頃から親に連れられて何度もこの川を渡っていたはずなのに、 放課後電車に乗って多摩川を越えて川崎に入るたびに 「ああ、 川崎に帰ってきたんだ」 とホッとするような感覚になって。 川崎に帰ってくることは私にとってすごく大きなことなんだと意識するようになりました。

地元の友だちとは、 彼らの家族も含めて今でもとても仲が良いです。 でもそれは、 いわゆる 「地元愛」 とは違うんですよね。 気持ち的には川崎に馴染みきれないと感じる部分もあるし、 それでいて東京の人でもない。 宙ぶらりんな立場です。
ただ、 それは決してネガティブなことではなくて、 そういう立場で育ったことは自分の人生にとってプラスだったと思っています。

最近、 はじめて小説を書きました。

社会に存在する物事と物事の間にある 「境界」 がテーマです。 動物と人間だったり、 性別だったり、 ヒエラルキーだったり……。 当たり前に世の中に横たわる境界というものに対して感じる違和感を書いたつもりです。

私は、 物事に境界を設けることにとても怖さを感じます。 それは、 私が幼少期から現在まで東京と川崎を行ったり来たりしながら生きてきて、 両方を知っていることにも起因している気がします。
もし地元の高校に進学して 「東京と川崎の違い」 を実感する機会がなかったら、 物事を平均化することや境界を設けることへの違和感に気づかずに暮らしていたのかもしれません。
宙ぶらりんな立場だからこそ書けた小説だと思っていますし、 いつか私なりの川崎の物語を書いてみたい。 川崎っていろんな顔を持っていて、 場所によって空気感や風景が全然違う。 私が書くなら、 いわゆる “川崎” の物語ではない、 中途半端な川崎の話になると思います。 でも、 それを書いてみたいです。

すみません、 東京の話でしたよね (笑)。

東京に対しては今も昔も “憧れ” という感覚はありません。 東京で暮らしたいと想像したこともないし、 東京で暮らすよりも地方とか海外とか別の場所のほうが私には向いていそうです。

言葉で例えるならば、 私にとって東京は 「他人」。
「家族は他人だ」 という価値観を持つ両親の元で育ったので、 親密な関係であればなおさら “つかず離れず” な関係くらいが心地良いと感じます。 相手の価値観の否定はせずに、 それでいて淡々と自分の価値観を育てるような。
そういう距離感は、 何をする上においても大切なのではないでしょうか。

私と東京は、 そんな関係です。


前田エマ Emma Maeda

1992年神奈川県生まれ。 東京造形大学卒業。 モデル、 写真、 ペインティング、 ラジオパーソナリティ、 キュレーションや勉強会の企画など、 活動は多岐にわたり、 エッセイやコラムの執筆も行っている。 連載中のものに、 オズマガジン「とりとめのない日々のこと」、 クオンの本のたね 「韓国文学と、 私。」 がある。 声のブログ 〈Voicy〉 にて 「エマらじお」 を月曜と木曜に配信中。 著書に小説集 『動物になる日』 (ちいさいミシマ社) がある。

Instagram: @emma_maeda
Twitter: @emma_rian

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2022/08/31

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