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ホンマタカシ 東京と私 TOKYO AND ME (intimate)

Vol.24 エドストローム淑子(EDSTRÖM OFFICE代表)
PLACE/有明テニスの森公園(江東区)

写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

エドストロームさん
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Sounds of Tokyo 24. (On the platform at Kokusai Tenjijo Station)


京都市内で生まれ育ちました。祖父母が京都府下の綾部という山間部に住んでいて、子どもの頃は週末、春、夏、冬休みを全てそこで過ごしました。
大自然の中で山や川を楽しみ、祖父母が育てていた野菜や米の栽培の手伝いを経験できたことは、私にとって大きな財産になっています。

たとえば“敷居が高い”とか“一見さんお断り”とか、世間一般でいう「京都のイメージ」があると思うのですが、私自身が後に京都から離れてみて感じたのは、まったく逆のことでした。
京都には大学が沢山あるのでさまざまな場所から学生が集まってきますし、外国人の居住者も多い。実は純粋な“京都人”が少ないことも含め、多様な文化を受け入れるおおらかさがこの街にはあるんだなと感じたんです。

高校卒業と同時にファッションを学ぶために東京に出てきたのですが、それまで京都から出たことがなかった私にとっては、「引っ越しをする」ということ自体がとても大きな出来事でした。
その後、上京して数ヶ月後にはパリに移住したのですが、京都以外の場所という意味では東京もパリも変わらないな、という感覚でした。
でも今思うと、後先考えない大胆な行動だったと思います。

パリではファッションスクールに2年半ほど通い、卒業後に友人を介してデザイナーのマルタン・マルジェラと知り合いました。最初は友人関係だったのですが、アトリエの手伝いがきっかけで仕事に関わることに。当時のマルジェラは本人も含めて社員は7~8人程度で、セールスからメディア対応までありとあらゆることを自分たちでまわしていましたね。
パリでは雑誌『Purple(パープル)』の立ち上げにも関わることができ、そこで多くの方々と関わりを持ったことでファッションだけでなく色々な切り口の「表現」というものを学びました。

その後、マルジェラに関わり続けながらパリからロンドンへ。8年を過ごし、東京に戻ってきました。
帰国する時、「日本で何かをしょう」という具体的な考えがあったわけではありませんでした。ただ、日本とヨーロッパの良さが共存し合えるようなプロジェクトをしたい、というざっくりとした思いは当時から持っていましたね。

プライベートでは、家族揃ってテニスに熱中していました。
子どもたちはロンドンで暮らしていた時にテニスをはじめたのですが、東京に帰ってきてからも週末ごとに行われるテニスの大会に付き添うかたちで、色々な場所に行きました。
中でも「有明テニスの森公園」は何度足を運んだかわからないくらい、私にとって特別な場所です。 普段生活している場所とは流れる空気が全然違っていて、ここに来るといつもとは違うスイッチが入るんです。
その全く違う感覚にさせてくれる「有明テニスの森公園」はある種、私にとってのメディテーションの場でもあるかもしれません。
毎年10月に男子テニスの世界的な『ATPツアー』が行われるのも、ここ有明テニスの森です。そこで観た沢山のプロフェッショナルプレイヤー達の試合も、私にとってインスピレーションの源になりました。1秒にも満たない中で起こるアーティスティックな展開には、常々インスパイアされます。

歴史上、沢山の素晴らしいプレーヤーがいますが、中でもロジャー・フェデラー選手が大好きです。プレースタイルが感動的なのはもちろん、アーティストとしての魅力もです。
ロンドンでも試合を観ましたが、有明テニスの森では公開練習を至近距離でみる機会があり、その時のエネルギーは圧巻でした。
彼は常にフェアプレー、何があっても言い訳をしない、対戦相手へのリスペクト。フェデラーのプレイスタイルは、私自身の仕事との向き合い方にも影響を与えてくれています。

私にとって、東京はミステリアスな場所。
普段仕事でお付き合いをしているのはヨーロッパやアメリカの方々が中心で、みんな東京に興味津々、大好きな街だと言います。
会話をする度、「東京はどう?」という話になるので、自然と普段から「東京ってどんな街なんだろう?」と考えるようになった気がします。

日本は島国ですが、外国の人から見ればその事実だけでミステリアスに感じるところがあるんじゃないでしょうか。
それぞれが描いている東京のイメージはあるけれど、実際に来てみるとミステリアスな部分が街にも人にもあって、何が飛び出すかわからない、或いは掴みどころがない。それって、都市としてものすごい強みですよね。

このまま、“明らかにならない雰囲気”を纏った街であり続けて欲しいなと思っています。


エドストローム淑子 YOSHIKO EDSTRÖM

京都生まれ。20歳のときに渡仏。日本とパリのエスモードを経て、マルタン・マルジェラのクリエーションチームに合流。ブランドの黎明期から約20年の時間を共に歩んだ。帰国後、2009年にエドストローム オフィスを立ち上げ、様々なブランドのPRからセールス、イベントまで、幅広く手掛ける。
http://edstromoffice.com/

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2022/02/28

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