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ホンマタカシ 東京と私 TOKYO AND ME (intimate)

Vol.5 仲條正義(グラフィックデザイナー)
PLACE/西新宿五丁目(新宿区) 

写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

Sounds of Tokyo 05. (Masayoshi Nakajo at his home)


昭和8年(1933年)に新宿区、昔は淀橋区といったんだけど、そこで生まれたんですよ、僕は。

親父が、一人前の職人になったばかりの頃に住みはじめて、兄が生まれ、そして僕が生まれた。
どんな子どもだったかというと、とにかく弱虫でね。身体も“もやし”みたいに細くて、年中病院に通っていましたよ。身体が弱くて弱虫だったから、ほかにやることがなくて絵ばっかり描いていたの。よく「この子は長生きしない」と言われていました。こんなに長生きするとは思わなかった。

小学校の4年生か5年生の時かな。戦争が激しくなって、住んでいた家は建物疎開にあって立ち退きになっちゃった。

大工をしていた親父が戦争にとられちゃったから、家族は父の実家があった千葉の飯岡に疎開したの。だから、東京の酷い空襲の時は「あっちの方の空が赤くなっているな」という程度しか知らないんですよね。
飯岡で中学、高校と過ごして、大学で東京に戻るまではずっと千葉にいました。だから子どもの頃は、東京にいるよりも千葉にいる方が長いくらいでしたよ。

池袋の外れに親父が家を建てたから、東京藝術大学に入ってから資生堂の宣伝部に入る頃まで、そこに住んでいました。
結婚する前に一人暮らしをしたいなと思って麻布の方に引っ越して、結婚してからもしばらくそこに住んで、その後からはずっと杉並に住んでいます。

僕にとっての「東京」、か。
この歳くらいになると、やっぱり自分が生まれたところが思い浮かぶんだよね。

生まれ育った場所は、新宿駅から青梅街道を出て1km位のところ、中野坂上から300mほど手前の新宿寄りの低地でした。
いまは蓋をされちゃったけど、水道道路を通って、玉川上水から引き込んでいた川があって。
その川が十二社通りを横切って青梅街道に至り、「淀橋浄水場(現在の新宿新都心)」という大きな貯水池になっていた。

十二社通りの途中にはガスタンク、熊野神社、三業地(花街)もありました。小さな池もあって、ザルに飯ツブを入れて河エビを採りに行ったりしましたね。

当時は山手通りがまだ完成していなくて、赤土がむき出しになっていました。
醸造屋さんが多くて、お味噌屋さんや醤油屋さん、家のすぐそばにはソース屋さんがあってね。あたりには長屋が連なっていました。
近くの成子坂に映画館もあって、地下では外国映画がやっていて……チャップリンの映画とか、親父によく連れて行ってもらったな。
いま思っても、なかなかいい風情の町だったんですよ。

だいぶ経ってから、そこに行ってみたことがあるんです。
建物は建て替えされているけど、細い路地が残っていたり、区画もそんなに大きく変わっていない感じで、都心にしてはちょっとめずらしいなぁって。

熊野神社は新宿中央公園の中に辛うじて残っていて、神社のちょっと先、角の交番もまだあると思う。実際にそこに行けば、もっといろんな話ができると思うんだけどね……。
そういえば、写真家の篠山紀信さんも、そのあたりで生まれ育ったみたいだね。

3年ほど前、もうそんなに仕事もするわけじゃないし、自分一人でできる範囲の仕事をと思って、事務所をたたみました。
グラフィックデザインは広告デザインが主流になってきちゃったから、僕みたいに線を描いたり、色を塗ったりするような人はダメなんだろうと思ってね。
でもね、そういうやり方は、いまでもなんとなく残っていますね。

若手では服部一成くん、佐藤可士和くん、菊池敦己くんとか優秀なデザイナーもいます。どうやって生きているのかと思っちゃうけど、みんな頑張っているね。
デザイナーで学校の先生をやっている人も多いけど、「学校の先生になったらデザイナーとしては終わりだよ」とよく言っているの。そういう僕も、年に一回くらい大学に教えに行っているんだけどね(笑)。

もうすぐ、87歳になります。

昔ほどじゃないけど、いまでも酒は飲むしタバコも吸います。普段は9時に起きて、午前中仕事をして、お昼ご飯を食べて……テレビを見ていると眠くなっちゃう。

僕はちょっと“眠り病”みたいなところがあって、昼間は誰もいなければ2時間くらい昼寝をするの。
起きると外が少し暗くなっていて、「いけねぇ」と思ってまた仕事をしますけどね。
それから晩ごはんの支度をして食べて、テレビをみて大笑いして、24時頃に寝ちゃいます。仕事をしない夜更かしだね。

いまは娘が設計したこの家に、猫の小吉とふたり暮らし。のんびりやっています。


仲條正義 Masayoshi Nakajo

1933年生まれ。1956年、東京藝術大学美術学部図案科卒業後、資生堂に入社。1961年、デスカを経て「仲條デザイン事務所」を設立。グラフィックデザインをはじめ、広告、アートディレクション、編集などを手掛ける。主な仕事に、資生堂の企業文化誌『花椿』のアートディレクション(1970~2011)、「資生堂パーラー」のロゴ及びパッケージデザイン、「松屋銀座」、「スパイラル」、「東京都現代美術館」などのロゴデザイン、『暮しの手帖』表紙イラストほか。受賞歴に、東京ADC会員最高賞、東京TDC会員金賞、JAGDA亀倉雄策賞、毎日デザイン賞、日本宣伝賞山名賞、紫綬褒章、旭日小綬章ほか多数。

東京と私

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2020/03/31

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