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令和・かぞくの肖像 これは、これまでの時代、これからの時代における「社会×家族」の物語。

須賀・笹木家の場合 Vol.10
人の人生をどうにかなんて、 できるはずがない

東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。

写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

かぞくデータ
須賀澄江さん(84歳・母方祖母)
笹木千尋さん(36歳・孫・主婦)

取材日
Vol.1 「誰も入れぬ固いもので結ばれた、孫と祖母の物語」/2019年7月
Vol.2 「夫を亡くして百ヶ日。『日が暮れると寂しいの』」/2020年4月
Vol.3 「母の突然の死から13年。家族の心の穴を埋めようと必死だった日からの卒業」/2020年9月
Vol.4 「母を亡くした姉妹。とけた誤解と今後の夢」/2021年1月
Vol.5 「一生祖母のそばにと決めていた彼女が移住を決意。亡き母からの卒業」/2021年6月
Vol.6 「祖母と孫の別離、生まれた新しい夢」/2021年10月
Vol.7 「キャリアはいったんゼロに。でも全く後悔がない彼女の選択とは」/2022年2月
Vol.8 「離れられないふたり、支える彼」/2022年6月
Vol.9 「祖母の最後は私が決める」/2022年10月
vol.10 2023年3月

かぞくプロフィール
笹木千尋さんの祖母 ・ 澄江さんは長女、 次女を相次いで亡くす。 今年6月、 パーキンソン病悪化のため、 住み慣れた江戸川区葛西から、 千葉の高齢者施設へ入所。
千尋さんは祖母の次女の娘。 高校時代に両親が離婚し、 父のもとで育つ。 うつ病の母は、 澄江さんのいる実家で暮らしたが、 41歳で急逝。 29歳の結婚後も祖母宅近くに住み、 一心同体のような濃い関わり合い方をしてきたが2021年7月、 夫の転職を機に千葉に移住。 自宅近くの施設に祖母を呼び寄せた。


 「東京にもこんな、 のどかなところがあったのか」
 3年前の冬。
 まだお元気だった祖母、 澄江さんと孫の千尋さんと、 編集者、 カメラマン、 私の5人で連れ立って、 旧江戸川を撮影のためにそぞろ歩いた。

 祖母宅から徒歩5分。 昔は海苔の加工業が多かったという江戸川区葛西で、 穏やかにきらめく水面みなもを前に、 私は深呼吸を何度もした。 空はライトブルーからコバルトの濃淡で彩られ、 空気は澄み、 なんという名か、 水鳥がつつーと気持ちよさそうに進んでいた。

 今、 祖母は千葉の療養型病院にいる。

「私が千葉に呼ばなければ、 こんなことになっていなかったのかも」
 千尋さんの淡々とした口調の奥に、 後悔がにじむ。

 幼い時に母を亡くした千尋さんにとって、 近くに住む祖母は母親のような存在だった。 成長すると、 祖母宅に毎週寄っては話し相手となり、 なにくれとなく世話を焼いてきた。
 千尋さんの移住前、 祖母は無職の50代の息子─千尋さんの伯父─と、 ふたり暮らしだった。

 祖母との密な関係から卒業したいという気持ちもあり、 千尋さんは'21年、 夫と千葉に移住。
 ところが、 前回記したように、 その間に澄江さんの持病のパーキンソン病が悪化。 見かねた千尋さんが、 千葉の老人施設にひきとってまもなく、 伯父が孤独死した。

「今、 祖母が入院している病院は、 コロナ禍で会えず、 先日ようやく3カ月ぶりに面会できたんです。 10分だけ。 3カ月も連絡を取らなかったのは生まれてはじめてでした。 やせ細って、 声も小さくて、 表情も乏しかった。 最期まで看る覚悟で引き取ったつもりですが、 それがおばあちゃんにとってよかったことなのか。 私の思慮不足だったのではと痛感しています」

 葛西に帰ろうかと、 千尋さんは尋ねたらしい。
 それには答えず、 「そんなことより早く死にたい」 と返ってきた。
「本当は生まれ育った葛西に帰りたいけれど、 周りに迷惑をかけると知っている。 だから、 “帰りたい” とは言わないんですね。 誤解を恐れずに言えば、 認知症が進んでくれていたほうが、 どれだけ心が楽だろうと思ってしまいました」

 息子を亡くした悲しみも、 自分の置かれた立場も、 人様に迷惑をかけたくないという想いも強い。 祖母はすべてをわかっている。 だからこその千尋さんの本音であろう。

 千葉に移住した頃は祖母はまだ多少歩けたので、 週末には迎えに行って、 海辺を案内しようと夢見ていた。
 千尋さんは、 ひとりごちる。
「コロナもあってなかなか会えず、 思い描いていた房総ライフとは違った。 おばあちゃんと海に行きたかったな」


「まさか自分が本屋になるとは」

 今、 自分がしてあげられることは何もない。 それでも願うことは何かと、 あえて尋ねた。
「眉間のしわを伸ばしてあげたいです。 病気や伯父のことがあってから、 どんどん深くなっていった。 もともときれいな顔立ちの人なので」
 ひと言に、 全てが詰まっていた。

「この取材を体験しながら、 話すことで救われることがあるんだなと実感しました。 私は、 母の死のことを乗り越えたわけではないけれど、 話すことでひとつ吹っ切れた。 自分と同じように悩んでいる人に、 私はこうだったよと言えるようになりました。 意外に多いんですよ、 私のように悩んでいる人って」

 家族だから、 血がつながっているから、 「なんとかしなくちゃ」 と思ってしまう。 だが、 千葉に来てから気づいた。
「寄り添うならいいけれど、 なんとかしてあげるなんて、 そもそも無理なことだったんです。 私は、 祖母や伯父のことで右往左往していただけ。 その人の人生は、 その人の人生でしかないと、 やっとわかりました」

 去年3月。 偶然知り合ったカフェオーナーの厚意で、 敷地内の一角を使い私設図書室をはじめた。 生涯にひとり一冊しか寄贈できない風変わりな図書室は、 メディアに広く取り上げられている。

 3カ月後、 今度はシェア型古書店 「風六堂」 をはじめた。 ワイン箱一つ分のスペースを貸し出し、 誰でも自由に好きな本を販売できる。 今では約40人の 「箱主」 が本を並べている。 移住後も知り合いの輪が増え続けているという、 オープンマインドで朗らかな彼女らしい試みである。

「まさか私が本屋をやるなんて。 午前はペンションのバイトをしていて、 書店はまだまだ儲けになりませんが、 いろんな人がおしゃべりをしていく。 一人ひとりの人生に触れられるこの取り組みが、 今の自分にはいちばんしっくり来ています」

 澄江さんが元気な頃に送ってくれていた梅干しが、 もうすぐ底をつく。 千葉に来てから三度目の夏が来る。

 葛西のファミレスでインタビュー後、 もう一度、 みなであの川を歩いた。
 3年前に訪れた時より暖かい季節のはずなのに、 重い墨色をしていて、 あまりの印象の違いに、 私は息をのんだ。 あれ? こんな感じだったっけ。 誰かがつぶやく。

「今、 青い海のそばに住んでるから、 よけい千葉とちがうなあって。 葛西の川は生活という感じがしますね」 (千尋さん)

 3年前、 私たちは澄江さん宅で、 手作りのあずきの大きなおはぎを頬張った。 もっと食べなさいもっとおかわりしなさいと勧められ、 帰り際にはいなり寿司と海苔を持たされた。
 澄江さんのいない葛西は、 とてつもなく寂しかった。


「令和・かぞくの肖像」須賀家取材写真
「令和・かぞくの肖像」須賀家取材写真
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2023/04/13

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