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令和・かぞくの肖像 これは、これまでの時代、これからの時代における「社会×家族」の物語。

サルボ家の場合 vol.8
母と息子、最後の一日

東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。

写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

かぞくデータ
サルボ恭子さん(50歳・料理研究家)
サルボ・セルジュさん(夫・54歳・フランス語教師)
サルボ・ミカエルさん(長男・26歳・会社員)
サルボ・レイラさん(長女・24歳・准社員、塾講師)

取材日
Vol.1 「家族だけど母じゃないという時間がもたらしたもの」/2019年11月
Vol.2 「人はすべてをわかりあえないと知っている人の強さ」/2020年5月
Vol.3 「3人の親と、サプライズのバタークリームケーキ」/2020年10月
Vol.4 「来日27年。彼が日本で学んだものは」/2021年2月
Vol.5 「彼女はまたがんになるかもしれない。でももう僕は大丈夫」/2021年6月
Vol.6 「3人の親がいてよかった。26歳の回想」/2021年11月
Vol.7 「どんな老い方や人生の閉じ方をしたいかを前向きに考える」/2022年3月
Vol.8 2022年7月

かぞくプロフィール
フランス語教師、セルジュさんと32歳で結婚。前妻の二子、ミカエルさん(当時小3)、レイラさん(小1)と家族に。 成人した子どもたちはそれぞれ自立。 恭子さんは料理家14年目。 '20年より実家の両親を呼び寄せ、二世帯住宅で暮らしはじめた。

Facebook:サルボ恭子 official
Instagram:@kyokosalbot


 2021年10月14日。
 コロナによる出入国制限がやや緩和されたタイミングをねらい、 セルジュさんは両親の故郷カリブ海クアドループ島 (フランス海外県) に旅立った。 認知症が進んだ母を高齢者施設に入所させるためだ。

「兄二人姉一人いますが、 母が奔放な父を愛しすぎるあまりエキセントリックな行動をおこしていたこともあり、 誰も面倒を見ようとせず、 老いた父が一人で苦しんでいました。 2年前、 僕はつらそうな父から電話をもらい、 これはただごとではないと電話とメールを使って一人で老人ホームを探しはじめていたのです」

 きょうだいに相談したが、 「そんなことはしなくていい」 と猛反対された。 しかし、 徘徊のはじまった84歳の母を、 83歳の父が看るには限界がある。 警察に保護されたり、 父がストレスで手を出したりすることもあった。
 コロナ禍で出国がままならないため、 後見人にまつわる法務の処理や費用の負担など、 もどかしく思いながらも遠隔で手続きを交わしながら孤軍奮闘。 1年かけて島の施設を探し、 ようやく入所にこぎつけたのだった。

 10月16日。 飛行機を3回乗り継ぎ、 二日間かけて島にたどり着く。 4年ぶりに会う母はげっそり痩せ、 下 (しも) の世話が必要なほど症状が進んでいたが、 末っ子の来訪を心から歓迎した。 記憶はまだらな状態で、 日本出国前の会話も 「死なないでちょうだいね。会いに行きますから」 と言うと、 元気に 「ハハハ」 と笑うなど、 通常通り話せることも時々ある。
 喜んでいる母とひとしきりおしゃべりをしてから、 ホームの話を打ち明けた。 まずは明日見学に行こうと。 表情を曇らせた母は、 いつもは使わないカリブ語で答えた。
「私はそこに行かないよ」

 フランス語で育ったセルジュさんがはじめて聞く母のカリブ語だった。 ——心の声、 つまり本心だったのでカリブ語で表出したのではないでしょうか。 セルジュさんは述懐する。

 ヘルパーがつくったカリブの煮込み料理、 サラダ、 芋を蒸した地元の料理を3人で囲んだ。 母は少しだけ食べた。

 深夜。
 母の叫び声が聞こえセルジュさんは寝室に駆けつけた。 母の排泄物で汚れたベッドの傍らで父も取り乱している。 後片付けをして母にシャワーを浴びさせ、 長椅子に座らせた。 母が落ち着く頃には夜が明けはじめていた。 排泄物の異様な色に残り時間の短さを直感する。
 翌朝、 担当の訪問看護師と相談し、 救急車を呼んだ。 検査をした医者から、 手術をできる状態ではないと聞かされる。
 父が家に残っていたので一旦帰り、 状況を話す。 病院から、 「もう長くは持たない」 と呼ばれた。 父は 「家にいる」 といってきかない。
 セルジュさんは一人病院へ戻る。
 同日22時10分、 ずっと手をさすっていた彼の前で母は息を引きとる。

 誰も想像していない突然の別れだった。
「きっと老人ホームがいやだったんでしょうね。 だから天国に行ったのかな」

 まだ9カ月。 いつもと変わらぬ落ち着いた表情で語るが、 喪失感がもたらす心の穴がふさがるには短すぎる。
 と、 傍らで聞いていた恭子さんがそっと言葉を添えた。
「ママンはセルジュが来てほっとしたんだと思う。 逢いたかったやっと逢えた、 もう頑張らなくていいと。 セルジュを待っていたんですねきっと」


トラウマは自身で解決するしかない

 感情の起伏が激しく、 夫の女性関係が露呈するたび泣き叫んで取り乱す母を幼い頃から一番長く見ていた長兄は、 葬儀に来なかった。 次兄と姉からは 「セルジュのせいだ」 と責められた。 ホームに入れるなんて言わなければこんな事にならなかったと。

「でも、 気の強い父が家で介護をしていた時 “もう自分の手に負えない、 君たちは冷たい” と電話口で泣くのをはじめて聞いて、 僕にはこうするしかなかった。 後悔はしていません。 僕が動かなかったら徘徊して車にはねられていたかもしれない。 時間が巻き戻ったとしても、 僕は同じことをします。 自分の行動を信じているので」

 きょうだいとは疎遠になった。 それもまたしかたがないことと受け止めている。 親と自分の関係は、 肉親といえども人がどうこうできない。 個々でトラウマを乗り越えねばならないと考えている。

 じつはセルジュさんも母の生前は、 それほど密に連絡を取るまめな息子ではなかったという。 過干渉がストレスだった。 また、 子どものころ見た、 女性宅から帰宅した父に、 あたりかまわず 「どこに行ってたんだー」 と叫ぶ母の姿も脳裏に焼き付いている。

 そんな彼が、 きょうだいに全否定され、 挙げ句母の死を責められてもなお親のケアと向き合った理由はなんだろう。

「うーん。 僕は27歳で日本に来ました。 それで、 フランス人でない考え方になったからかも」
 というと?
「フランスという国にいたら僕だって兄たちみたいに冷たくしていたかもしれない。 日本に住むことで価値観が変わったのです」

 かつて本連載で彼は、 「フランスには “思いやり” という言葉がない」 と言った。 概念そのものがなく、 訳すのが難しいと。
 個を大切にする国民性と、 他者を思いやるそれの違いを言っているのだと解釈した。

 また、 2年前の父が母に苦悩しはじめたちょうどそのころ、 恭子さんの両親を地方から呼び寄せている。同居を提案したのはセルジュさんだ。
 恭子さんは遠慮するに決まっているので彼女がいない時に、 治療で上京していた母におそるおそる提案したという。
「そろそろうちに来ませんか。 私達の重荷になるとか、 迷惑とか考えないでください。 私が義母さんのお料理を食べたいんです」

  なぜそう言ったか尋ねた時、 「地方で老いたふたり暮らしは大変ですし、 親ですから当然でしょう」 とこともなげに答えた。
 思いやりの精神がこの国で身についたと言うが、 そうだろうか。 彼だから進んで同居できるし、 彼のような人柄だからこそ故郷で後悔のない行動を取れたのでは——

 セルジュさんがクアドループ島に到着する日、 母は数時間前から家の小さなベランダに出て、 椅子に座りじっと息子の帰宅を待っていた。
「セルジュはまだ着かないし、 寒いから中にはいったら」 と父やヘルパーがどんなに言っても聞かなったらしい。

 コロナをはさみ、 4年間も会えなかった。 セルジュさんが渡仏した直後、 オミクロン株の猛威のため出入国制限が再開した。 あのタイミングを外したら出国できず、 母の最期に立ちあえなかっただろう。
 待ち焦がれた母と、 遠い国から戻った息子はたった1日だが、 ゆっくりひとつ屋根の下で過ごした。

 彼は言う。 「神からのギフトだと感謝しています」
 お母さんはセルジュのことを待っていたんですね。 恭子さんの言葉があらためて沁みる。

サルボ恭子さん一家の取材写真
サルボ恭子さん一家の取材写真
サルボ恭子さん一家の取材写真
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2022/08/04

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