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令和・かぞくの肖像 これは、これまでの時代、これからの時代における「社会×家族」の物語。

須賀・笹木家の場合 Vol.7
キャリアはいったんゼロに。でも全く後悔がない彼女の選択とは

東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。

写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

かぞくデータ
須賀澄江さん(83歳・母方祖母)
笹木千尋さん(35歳・孫・主婦)

取材日
Vol.1 「誰も入れぬ固いもので結ばれた、孫と祖母の物語」/2019年7月
Vol.2 「夫を亡くして百ヶ日。『日が暮れると寂しいの』」/2020年4月
Vol.3 「母の突然の死から13年。家族の心の穴を埋めようと必死だった日からの卒業」/2020年9月
Vol.4 「母を亡くした姉妹。とけた誤解と今後の夢」/2021年1月
Vol.5 「一生祖母のそばにと決めていた彼女が移住を決意。亡き母からの卒業」/2021年6月
Vol.6 「祖母と孫の別離、生まれた新しい夢」/2021年10月
Vol.7 2022年2月

かぞくプロフィール
笹木千尋さんの祖母・澄江さんは江戸川区葛西在住。長女、次女を相次いで亡くす。一昨年夫を看取り、現在は長男とのふたり暮らし。千尋さんは次女の娘。中学時代に両親が離婚し、父のもとで育つ。うつ病の母は、澄江さんのいる実家で暮らしたが、41歳で急逝。千尋さんは32歳の結婚後も祖母宅近くに住み、一心同体のような濃い関わり合い方をしてきたが2021年7月、夫の転職を機に千葉に移住した。


 東京駅からバスで1時間半。千葉県南房総市の千尋さん宅を訪ねた。
 大家さんの敷地奥に鉄骨のコーポがある。窓の向こうは空と一面びわの木。前の住まいもそうだったが、あまり物を置かず2DKをすっきり広々、清々しい空間に整えていた。

「こっちに来てほとんど野菜を買ってないんです。ご近所さんにいただいたり、私も畑を借りて育てたりしてるので。今日はうちで採れたのを干し芋にしてみたのでどうぞ」
 ねっとり蜜のつまった素朴な干し芋はいくつでも食べられそうなほど旨い。小さな畑では、ほうれん草、小松菜、かぶ、スナップエンドウ、玉ねぎ、レタスと、栽培中の野菜を楽しそうに連ねる。

 東京でやっていた葬儀屋の仕事は辞めた。今は夫の収入で暮らしているが、物を買う場所や機会もぐっと減ったためそれほど金は使わないらしい。

「潮のいい日は大家さんのおばあちゃんと釣りに行くんです。大家さんは80代で、50年前に移住してきた人。うちのアパートは全員移住組なので、そんな話も合います。お寺の縁日に古本の店を出したり、フリマを主催したり、なんだかんだけっこう忙しいんですよね」

 とう編みや金継ぎも千葉に来てから習った。誰かと知り合いになると、また次の友達を紹介され、つながりがどんどん広がっていく。町営の温泉場で知り合ったおばあさんちに遊びに行ったこともあるそうな。

「南房総はびわやレモン、みかんの産地で、近くの無人販売所や道の駅で安く買えます。野菜も新鮮でおいしい。今なら菜の花がたっぷり入って100円。夜は流れ星が見える。ここの暮らしは性に合ってるなあ、もう東京に戻れないなあと」

 夫は名古屋に長期出張中で、実は人生ではじめてのひとり暮らしを体験中だ。なんだか本当に生き生きと心地よさそうで、移住半年の人にはとても思えないほど知り合いも多く、日々を満喫している。

 祖母世代の友達も多いというあたりは、いかにもおばあちゃん子の千尋さんらしいが、葛西の澄江さんとはあれから?

「この連載の取材で去年の10月に会ったきりです。たまたまおばあちゃんちの電話が故障中であまり話もしてないんです」
 前回訪ねた時澄江さんは、持病のパーキンソン病がゆっくり進行していた。広報職を辞し、いつでも駆けつけられるよう葬儀屋のバイトに転職するほど祖母に寄り添っていた彼女にしては、意外に感じた。

「心配じゃないって言ったら嘘になりますけど、現実的にはもし祖母に何かあっても以前のようにはしたくてもできない。都合のいいことを言っても、期待をもたせるだけになってしまいます。私は祖母とのことから、どんなに相手のことを思っても、介入できないこと、どうにもならないことがあるのだとわかった。それが祖母から学んだことです。無力さを感じつつも、誰かに対してああしてあげようこうしようと思わず、流れるままにやっていこう、それが一番だなって今は思ってます」

 祖母を通して抱いていた母への執着を手放したように見える彼女は、徒歩数分の海を背景に、はじけるような笑顔でカメラに向かった。肩の力が抜け、どこか軽やか。私は撮影の傍らで、どこからともなく降りてきた言葉を噛み締めていた。ブレイクスルー。


人生は育児と仕事の二択だけではない

 房総ではどうしてもやりたいことがある。以前も書いた“風の図書室”という試みだ。寄贈された古本だけの私設図書室をつくる。ただしひとり一冊のみ。亡くなった人の蔵書でもいい。
「いわば本の墓石。そこで誰かが救われたり癒やされたりする空間になったらいい」と語る。

 昨年からひとりではじめた試みは、賛同する寄贈者が増えいまや一室が本で埋まるほどに。 「なんとかしなきゃ。いつか場所を借りてちゃんと並べたいんです」  

 風の図書室の活動を広めるため、地域の様々なイベントに顔を出し、積極的に自分のことを話している。なるほど、友だちが数珠つなぎで増えるわけだ。

中には、「私も親を亡くして」と打ち明ける人や、思い出の本を通して心の奥の痛みを語りだす人もいる。最近立て続けに数人、母を亡くして苦しんでいる人に会い、「みんなで母親のことを話しましょう」と誘った。自宅開催の夜は「ワイン3、4本を空けてみんなで話して思いっきり泣きました」。

 まだ古本市などでは、生活費の糧にまではならない。35歳の彼女は、この選択をどう受け止めているのだろう。
「キャリアというほどのものではないけれど東京で働くのを諦めたこと、無職になっていったんゼロになるのは納得していたものの、正直、寂しさはありました。でも、だからといってこちらでバリバリと以前のような働き方はしたくない。広報の仕事が本当にしたかったかというと、そうではない。たくさん稼げなくても、これだと自分で強く思えるものがあったら胸を張って生きていけます」

 ふとした折に、同年代の女性と比べることはある。「私の年齢だと子育てをしているか、バリバリ働いているかのどっちか。でも人生ってその二択だけではないので」ときっぱり。東京にいる頃望んでいた子どもも、本当にほしいのか自問自答し、気持ちが落ち着いてきたという。

「今の生活は、バチが当たるんじゃないかっていうくらい豊かで自由で楽しい。私はパソコンを触っているより、野菜をつくったり、体や手を動かしたりしている方が好きなのだとわかりました。縁あって貸別荘の掃除のバイトもはじめましたが、14時には終わり、帰ったら畑をいじるか竿を持って海に行く。そのあとは、釣れても釣れなくても家で晩酌です。ここ、窓から富士山が見えて夕日が沈む頃が最高なんですよ」

 経済的にも精神的にも、ここにいたらどうにかなるだろう。房総の人や空気や大地には、そう思わせるおおらかさがあるようだ。
 だがいちばん彼女をいい塩梅に緩めているのは、母との距離、祖母との距離であろう。

 澄江さんは寂しいかもしれないが、移住を二つ返事で受け入れ応援した。
「もう私やお母さんから卒業していきなさい」という想いの現れたその行動を、千尋さんもまたよく理解している。だからこそ、今の暮らしをこれほどまで堪能できる。

 もうすぐ房総はキンセンカという花におおわれる。明るい黄色や橙色に囲まれながら、楽しそうに土にまみれる彼女の姿が目に浮かぶ。


「令和・かぞくの肖像」須賀家取材写真
「令和・かぞくの肖像」須賀家取材写真
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2022/03/03

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