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令和・かぞくの肖像 これは、これまでの時代、これからの時代における「社会×家族」の物語。

須賀家の場合 Vol.1
誰も入れぬ固いもので結ばれた、孫と祖母の物語

東京で暮らす4組の家族を、半年ごとに取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。

写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

家族データ
須賀澄江さん(81歳・母方祖母)
笹木千尋さん(33歳・孫・会社員)

取材日
2019年7月

家族プロフィール
澄江さんは東京都江戸川区葛西で生まれ育つ。実家は海苔の養殖を営んでいた。義父母同居の近所に嫁ぎ、一男二女に恵まれたが、長女、次女を相次いで亡くす。現在は夫と長男の三人暮らし。孫の笹木千尋さんは、41歳で亡くなった次女の娘。千尋さんは中学時代に両親が離婚し、父のもとで育つ。うつ病の母は、実家である澄江さんのもとで暮らしたが、まもなく亡くなり、祖母と孫は互いの家を自転車で往来しながら、現在に至る。千尋さんは2018年結婚。


 一度ふたりに会ったら、忘れられなくなった。特に個性的でも、キャラクターが強いわけでもない。2年前にパーキンソン病を患い足腰が弱くなった80歳の祖母。その背に手を添え、優しく見守る孫。

「おばあちゃん、それさっきお話したよ」と、時折そっと孫の千尋さんが助言すれば、「あらそうだったかしらね」と話好きの祖母、澄江さんは恥ずかしそうに首をすくめる。

 穏やかで温かな空気に包まれている。だが、それだけではない。一見どこにでもいそうな孫と祖母だが、根底に誰も入り込めなさそうな固いつながりを感じ、不思議と強く印象に残った。

 別の場で取材し、本連載で「令和の新しい時代の家族のかたちを」というお題をいただいたとき、真っ先に二人が浮かんだ。半年ごとに通うという主旨も、二人に合う。短い時間では語りきれない家族の歴史を、ゆっくり掘り下げてみたい。そこに、探している答えのひとつがあるのではと思った。


早朝の弁当配達

 間柄を整理する。
 孫の千尋さんは、澄江さんの次女の娘だ。次女は自転車で20分の近所に嫁いだが心身を患い、中学生の千尋さんを夫のもとに残し、離婚。澄江さんのいる実家に戻った後、まもなく亡くなった。

 以来澄江さんは、男手では大変だろうと、毎朝自転車で孫の家に弁当を届けた。孫には会わず、そっと自転車のかごに弁当を入れる。部活で遅くに帰宅する千尋さんは、空の弁当をかごに入れておく。弁当箱は2個あり、澄江さんは翌朝、つくりたての弁当と空の箱を交換する。
「おばあちゃんは何をつくっても美味しくて、毎日お弁当が楽しみでした。時々、冬の朝、震えながら遠くの角で私を待っていたりして。私をひと目みたいと思ったんでしょうね」

 澄江さんはこれまでの人生で嬉しかったことはという質問に、「この子の結婚式」と千尋さんを見ながら幸せそうに答えた。ほら、そこに式の写真があるでしょう。取ってあげてと千尋さんに言う。実は私は、それを見るのが前回に続き2回目である。よほど嬉しいできごとだったのだろう。

 では81年間で、ほかに嬉しかったことは——
「さあ……。忘れちゃいましたねえ。でもこの子がいない人生は考えられませんね。孫の成長が嬉しくて、なんの記念でもないのによく孫を連れていっては日本橋のデパートで、写真を撮りましたよ」

 親同士が決めた結婚で、23歳で嫁いだ。明治生まれの厳しい姑が95歳で他界するまでの9年間は、介護に費やされた。比較的優しかった舅は52歳で他界。もちろんその介護も担った。
 35年間、家政婦のように働いた。その間に、ふたりの娘を天に見送っている。長い人生で嬉しかったことに、つい最近のできごとをあげる理由が、私にも少しわかる気がした。


皮を剥いた果物がいつも冷蔵庫に

「葛西はあさりを採ったり海苔を養殖したり、半農半漁の人が多かったのです。私の実家も海苔の養殖業で、土地など資産はありましたが女の子に教育をつけるという発想はなかった」と、澄江さんは半生を振り返る。

 親が決めた結婚相手は大卒の一人息子だった。和裁、洋裁、花にお茶と花嫁修業が万全で、持参金も多い澄江さんはしかし、姑からちくりちくりと学がないと嫌味を言われた。
「急に機嫌が悪くなって怒りだすこともありましたね。大事な一人息子を取られたような気持ちになったのでしょう。わけが分からなくても、とりあえず両手をついて謝りました。そのほうが早いから」

 顔を突き合わせて過ごす日中、唯一ほっとできるのは二階の掃除だ。姑の目がないのでほんの少し、ごろんとする。それが「私の自由だった」という。

 夫は一度も厨房に立ったことがない。いまだにコンビニにも行ったことがない。
「とても不器用な人。でも、義父母の介護をお前が全部やってくれた。俺は何もできなかった、と言ってくれた。それだけでも報われました」

 小さな幸せを数えることが上手な人だ。夏みかんや梨など、いつ孫が遊びに来てもいいように皮を剥いて冷やしている。小さな頃から、美味しい美味しいと食べる孫を見るのが至福だった。それは、千尋さんが嫁いだ今でも習慣になっていて、この日はメロンに一口ずつ食べやすい切れ目を入れ、ラップをかけ冷やしてあった。

「おばあちゃんのいなり寿司やうな丼は、近所で評判なほど美味しいんです。タッパーにも、いつも何かしらおかずのつくり置きが入っていて、持っていきなさいってもううるさいくらい。私も働いているので、ありがたくもらっていきます」(千尋さん)

 料理はなんとかできるが、最近、パーキンソン病で身体が思うように動かせないので千尋さんは心配そうだ。「ずっと家にいたら滅入ってしまうのではないかと」。
 では、趣味はなんでしょうか?
それがないのが悩みなのよ、と澄江さんは言う。
「ただひたすらここまでやってきたから。趣味を習ったり考える暇がなかったの」

 今は、自分が天に旅立ったときのために家の断捨離をしている。
 「もう棺に入れてもらうセットも用意してあるのよ」
 ひとしきり話すと、澄江さんはまた言った。ほら、あれ見せてさしあげて。千尋さんの結婚式のアルバムのことだ。

 千尋さんは、「おばあちゃんちから一番近いところを」と、江戸川区のホテルを結婚式場に選んだという。写真には太陽みたいに明るく美しい花嫁が写っていた。
 きっと寂しいこともたくさんあったに違いない彼女を、こんな素敵な笑顔にした人はたくさんいると思うが、澄江さんの存在は特別だろう。
 しあわせですね、こんな美人のお孫さんがいて。そう言うと、澄江さんはつぶやいた。
「私は娘を亡くしたけれど、この子の存在が救い。だからここまでやってこれました」

 私達が次に訪ねるのは初春。パーキンソン病の回復を心から祈りながら、葛西の一軒家をあとにした。それではまた、お元気で。

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2019/12/03

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