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つくる人 私たちの暮らしを豊かにする「もの」を生み出す「つくる人」とのトークセッション。

Vol.11 丸若まるわか裕俊ひろとし (EN TEA主宰)
“あたり前”を超えていく

日本茶の魅力を世界へ向けて発信する茶葉ブランド「EN TEA」を主宰する丸若裕俊さん。
工芸の魅力に取りつかれた20代半ば以降、
過去と現在を縦横無尽に行き来し、さまざまな縁を繋ぎながら、
日本文化という名のエンターテインメントを発信し続けている。
“自分の役割”を見つけたひとりの男性の、熱くしなやかなものづくりの話。

写真:HAL KUZUYA 文・編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)


Profile
丸若裕俊(まるわか・ひろとし)

1979年生まれ。アパレル会社勤務などを経て、2006年「丸若屋」を設立。2016年に茶葉ブランド「EN TEA」を立ち上げると当時に、東京都渋谷区に茶葉屋「GEN GEN AN幻」をオープン。世界に向けた新しい日本茶カルチャーの発信に取り組んでいる。
HP:https://en-tea.com/
Instagram:@en.tea@gen2an

“自分”を探し続けて

久しぶりにゆっくりお話を聞く機会を頂けて嬉しいです。今回、西麻布にあるオフィスにお邪魔させていただきましたが……本当は、新居にお邪魔する予定だったんですよね。

丸若裕俊さん(※以下、敬称略):
すみません、どうしても引っ越しが間に合いませんでした(笑)。

確か、浅草にお住まいでしたね。

丸若:
はい、新しい家も浅草です。生活の場でありつつ、手掛けているお茶やその周辺の道具と、24時間いつでもとことん触れ合う環境を生み出したくて。

丸若さんとはじめてお会いしたのは、伝統工芸や日本文化を再編集して新たな視点から提案する「丸若屋」をスタートしたばかりの頃だったと記憶しています。その後、工芸と社会を結びつけるさまざまなプロジェクトや作品を発表して、2014年から約4年にわたってギャラリー「NAKANIWA」をパリで展開されました。そして2016年には、茶葉ブランド「EN TEA(エン ティー)」をスタートするというお知らせを頂いて。私の中で丸若さんは「モノ」の人であるという認識だったのでとても驚いたんです。まさか、お茶に行くとは。

丸若:
EN TEAをスタートすると同時に、渋谷の宇田川町に茶葉屋「GEN GEN AN幻」をオープンしました。お茶をはじめて今年で4年、丸若屋をはじめてから14年目になりますね。

今回のインタビューでは、改めて「丸若裕俊は何者なのか?」ということを探るべく、いろいろとお話を伺ってみたいと思います。

丸若:
よろしくお願いします。

まずは丸若屋以前の話についてお聞きしたいのですが、もともとアパレル会社に勤務されていたそうですね。

丸若:
はい。「DIESEL(ディーゼル)」というイタリアブランドに新卒で入社して、3年くらい在籍しました。

もともとファッションへの興味があったんですか?

丸若:
ファッションの背景にあるカルチャー(文化)に興味があった、という言い方が正しいかもしれません。たぶん、横浜で育ったことが少なからず影響していると思います。母親の実家が本牧にあってその近くで育ったので、小さい頃からさまざまなカルチャーと接する機会が多かったんです。

私も同じエリアで育っているので、よくわかります。中国、アメリカ、韓国、ロシア……。さまざまな国にルーツを持つ同級生がいましたよね。

丸若:
同じ港町という意味では神戸、長崎も近いものがあると思うんですけど、横浜はどこか独特ですよね。国際色に加えて、日本独自のヤンキー文化もあるし。そういう環境で思春期を過ごす中で、必然的に「自分は何者なんだろう」ということを考えるようになりました。ダンスが得意な人もいれば、DJをやってる人もいれば、スポーツで結果を出す人もいる。じゃあ、自分は? って。高校生になって皆が“大学どうしよう、仕事どうしよう”と考えている時に、僕はまだ自分探し中でしたから(笑)。幼稚園からずっと自分探しです。

なるほど(笑)。

丸若:
でも今になって振り返ると、昔から「文化」とか「歴史」というものに漠然と興味があったんです。紀元前からはじまって、だんだん現代に近づいていって、最終的には「ヨーロッパのカルチャーはどうなってるんだろう?」という“今”への興味へと繋がっていきました。ディーゼルに入社したのもその流れ。今は多くの人が知るブランドですが、当時はヨーロッパのカウンターカルチャーの色が濃いブランドで、そういう部分に魅力を感じたんだと思います。

アメリカではなくヨーロッパだったんですね。

丸若:
最初は、アメカジやNBAブームだったこともあってアメリカ派だったんですよ。でも当時イギリスに留学していた従妹やその家族から入ってくる情報に触れているうちに、段々とヨーロッパへの興味が湧いてきて。ファッションでも音楽でも、アメリカでは生まれないものを感じたんだと思います。

90年代はインターネットが今ほど普及していませんでしたから、カルチャーや流行が交わっていなかったというか、それぞれの国独自のカルチャーがありましたよね。ディーゼルで過ごした時間はどうでしたか?

丸若:
ものすごく濃密でしたね。中高生の記憶って誰かに迷惑をかけたこと以外ほとんどないんですけど、ディーゼルにいた約3年のことは今でもよく覚えています。

売れるものを売るのはドキドキしない

当時のエピソードで、今の活動に繋がることはありますか?

丸若:
ディーゼルではその後の担当に関係なく社員全員が販売員を経験するのですが、目標を達成する為にありとあらゆる事を試したんです。洋服への知識が無い分、自分が購入者だったらという考えで続けていたら、最終的にどんな物でも“売り方”は存在するという気づきに至りました。

なるほど。

丸若:
売れる物を売り続けていたらブランドは成長しないし、自分の存在意義も薄れてしまう。拘っていたのは“売れない物”を売る、という事でした。たとえばまだ暑い時期にダウンジャケットを売るとか、極端に繊細なつくりの服を売るとか。「全然動かないから奥に戻そうか」といわれている商品を、「僕に一週間くれ」って言って、売るんです(笑)。

その心は?

丸若:
僕なりのアンチテーゼというか……「売りやすいものを売る」っていうのはなんかドキドキしなかったんですよ。この気持ちは今の活動に繋がる起点になっていると思います。売れる・売れないって、人が勝手に値踏みをしているだけじゃないですか。だったら自分個人で価値を見出せるものは見出して、届けるべき人へ届ける努力をすればいいんじゃない? って。今でもそうですけど、大切なのは“自分の気持ちがこもっているかどうか”だと考えていました。

その数年後には丸若屋を立ち上げることになるわけですが、何かファッションから離れようと思うきっかけがあったのでしょうか。

丸若:
自分のパフォーマンスを発揮するところでいうと、ヨーロッパというジャンルはどうしても振り切れないところがあるな、と。ちょうどその時、海外のファストファッションも日本に入ってきたタイミングだったりして、洋服に対する自分の気持ちがわからなくなり、一旦距離を置こうと思ったんです。で、また自分探しをはじめようかと(笑)。

丸若屋の創業は、会社を辞めてすぐのことだったんですか。

丸若:
いえ、辞めて二年半くらい経ってからですね。空白期間は、日本各地をウロウロしてました。いわゆるバックパッカーっていうやつです。……これを話すとちょっと話がややこしくなるんですけど、実は僕、ディーゼル時代から絵を描いていて、それで得た収入で空白期間を食いつないでいたんですよ。

えっ? それは知りませんでした。

丸若:
ドイツ人でベルリンの壁にも描いたりしていたグラフィティアーティストが日本に来日した時に、仕事の関係で一緒に食事をする機会があったんです。何かコミュニケーションをとろうと思って、自分が描いた絵を見せたら「クールだ」って言ってくれて。それでその気になって毎日絵を描くようになったんです。で、ある時にヨーロッパのブランドが日本に進出する時の広告ビジュアルを描いてみないかという話を頂いて。25歳の時だったかな。それから一時“旅と絵”にほぼすべてを費やしていたんです。

アメリカンドリームみたいな話ですね。このあとどうやって、伝統工芸やお茶の話に繋がっていくのか。

丸若:
大丈夫です、もうすぐ繋がりますから(笑)。石川県を旅していた時に、たまたま出会った地元の方が「絵を描くんだったら、もしかしたら興味あるんじゃない?」って九谷焼を見せてくれたんです。その時、雷が落ちるような感覚になりました。「自分がずっと探していたアイデンティティって、これかも」って。

その時に見たのはどんな作品だったんですか?

丸若:
石川県で1655年頃から約40年間という限られた期間につくられていた「古九谷こくたに」と呼ばれるものです。抽象的だけどリアリティがあって、古代芸術みたいなパンチがあって……。大袈裟な言い方ですけど、見た時にすべての意識が変わったんです。

生死を感じるもの

古九谷との出会いが丸若屋をはじめるきっかけだったんですね。その後、さまざまな作品やプロダクトを発表されましたが、九谷焼の上出長右衛門窯と共につくった「髑髏の菓子壷」はとても印象的でした。

丸若:
それまで手探りだった自分の人生が“前に進めるかも”と思えたこと、それから伝統工芸というものが自分の中で長く続いていくものになるだろうと思ったのは、髑髏の菓子壷を上出くん(上出長右衛門窯の上出惠悟さん)とつくった時ですね。この作品が、僕たちが想像していた以上のかたちで評価されて。

「森美術館」と「金沢21世紀美術館」でも展示されていましたよね。

丸若:
そうだ、この髑髏の作品のこと、もう少しお話してもいいですか?

もちろん。

丸若:
この作品を発表する前年の年末に、上出くんと一緒に石川の工場で髑髏の石膏型をつくっていたんです。そうしたら12月31日に突然電話かかってきて、兄が倒れたと。夜行列車に飛び乗って病院に向かったのですが、兄はほどなくして亡くなってしまいました。なにしろ急なことだったので家族皆がばたばたして……。葬式が終わって、「さあ、どうしよう」と我に帰ったら、石川に戻って髑髏をつくっていたんですよ。要は、病院から工場へ戻る時の記憶がまったくないんです。兄が死んで、自分は髑髏をつくっている。“何してんだ、自分”って思いましたよ(笑)。この時に、言葉ではなかなか伝えにくいんですけど「今やっていることはたぶん、この先もやり続けることなんだ」って直感的に思ったんです。丸若屋を会社にしたのは偶然ですが兄が去った年で、そういう意味でも色々なスイッチが入った出来事でした。

そうだったのですね。

丸若:
ネガティブな話に聞こえちゃうかもしれないですけど、「人の死」に一番学びがあると思っています。兄の死を経験したことで、死生観を感じるものや人生観が凝縮されているものにしか頭と身体が反応しなくなったのは事実です。表層的なものに対しては価値を見出せなくなってしまったというか。とはいえ現代社会に生きているわけなので、そうではないものとの接点の方が多いですし、ごく普通の生活をしているつもりですが(笑)。こういった体験を経て工芸に触れるということを続けていて、その派生としてお茶もあって……という感じですね。

もともと歴史や文化が好きだったというお話がありましたが、それも何かきっかけがあったんですか。

丸若:
これは父に感謝している部分でもあるんですけど、小さい頃に家族旅行でよく地方に連れていってくれたんですよ。地方に行くと、城跡だったり歴史遺産が残っているじゃないですか。そういうのを見るのが大好きでした。母もいわゆる“本の虫”だったので、その影響で小さな頃から池波正太郎の歴史小説を読んだりとか。もちろんテレビで「鬼平犯科帳」も観ていたので、僕がはじめて買ったCDは鬼平のテーマソングを歌っていたジプシー・キングスなんですよ。小3の時に(笑)。

渋い小学生ですね(笑)。ある日突然知らないものが降ってきたというよりは、日本文化への親しみが潜在的にあったんですね。

丸若:
帰ってきた、という感じですね。アメリカ文化、ヨーロッパ文化、世界中をぐるりと回って、結局は「ナシ」と思っていた日本文化に帰ってきた。

ナシ、と思っていたんですね。

丸若:
はい。海外のものがかっこいいと思っていましたから。でもぐるっと回って「これだな」と思えたので、思い入れもひとしおというか。伝統工芸というものを扱う時に、「繋げよう、絶やさないようにしよう」という社会貢献的な発想になる人が多い気がするんですけど、僕は一度もそう思ったことはなくて。僕は「伝統工芸にどうにかされた」方なので、その体験を共有していくだけなんです。

海外で知った「日常のお茶」というキーワード

先ほども触れましたが、丸若さんがお茶をはじめたということを聞いた時にとてもびっくりしました。でも考えてみたら、お茶も大きくは伝統工芸として括れる分野ですし、丸若さんとしては自然な流れなんですね。

丸若:
まったくもって自然ですね。

丸若屋のHPを改めて見返していたら、“異なる文化や新しい価値観を持った人々にも日本文化を共有していくために、最適な方法論を創造することが我々に課せらせた役割であると考える”という風に書いてありました。確かにEN TEAは今までのお茶の分野には無かった新たなアプローチ方法、共有方法をとっていますよね。渋谷の宇田川町というカルチャー色の強いエリアに「GEN GEN AN幻」をオープンしたこともそうだし、東京・台場の「チームラボボーダレス」内で展開している「EN TEA HOUSE 幻花亭」もそうだし……。

丸若:
そう言っていただけると嬉しいですね。

お茶の取り組みをはじめるにあたっては、佐賀県嬉野の茶師・松尾俊一さんとの出会いが大きかったそうですね。EN TEAは、茶葉を育てる日本各地の茶農家の方々がいて、茶の開発と味の決定を行う松尾さんを含めた製造チームがいて、丸若さんはブランドを育て世の中に発信する役割、という構造だと伺っていますが、松尾さんとはどういうきっかけで知り合ったんですか?

丸若:
パリでギャラリーを運営していた時に、「ギメ東洋美術館」から有田焼の展示に付随したサロン(ワークショップ)の手伝いをしてほしいとオファーを頂いたんです。西洋では美術品は鑑賞物だけど、日本ではそれを日常的に道具として使うということに興味がある、だから使い方を知れるような内容にしてほしいと言われました。日本酒・和菓子・お茶を切り口にというリクエストだったのですが、お茶に関しては茶道ではなく“日常のお茶”を教えて欲しいんだ、と。

日常のお茶、ですか。

丸若:
実は当時、僕の中にはその概念が無くて。だから、“日常のお茶”というキーワードはフランス人に教えてもらったんです(笑)。日本酒と和菓子は講師を依頼する方が思い浮かんだんですけど、お茶は繋がりが無くて。そんな時に有田焼窯元の李壮窯りそうがま さんが紹介してくださったのが松尾俊一で、彼に「日本茶と器」という講演の講師を依頼しました。

どんな内容の講演だったのでしょうか。

丸若:
お茶の特性とか、ガラス、陶器、磁器、うつわの素材によってお茶の味わいがどう違うのかとか。今思えばもっと深く掘れたなって思いますけど、見にきてくださった方の反応もとてもよかったし当時の自分にとっては新鮮な内容でした。同時に、工芸に携わってきた立場としてお茶というものを見た時に、大きな発見もありました。

どんな発見ですか?

丸若:
工芸って、海外に持っていくことを考えるとすごく制約があるものなんです。湿度管理や梱包など考えなければならないことが山ほどある。だけどお茶は、工芸に比べると圧倒的にその辺のフットワークが軽いんですね。当たり前のことですけど、流通に向いているすごいものだなと思いました。異文化を伝える際の大きなハードルは、“ご存知の通り”を共有するまでに工夫と時間が求められるところにありますが、「greentea」っていうと、多くの人は日本を想像してくれるじゃないですか。

確かにそうですね。

丸若:
紆余曲折いろいろなことに携わってきた中で、自分のやる取り組みとしてとても可能性があるなと思ったんです。あとは、それ以降「お茶」というものについて知ったり学んだりする中で、こんなにも無法地帯なジャンルなのか、と衝撃を受けたということもあります。きっと、自分なりに発信できることがあるんじゃないかと。

「当たり前」を取り払っていく

EN TEAをはじめるという話を聞いた時、丸若さんのそれまでの歩みを考えるとお茶といっても急須とか“道具”のほうなのかなと思ったんです。茶葉からスタートした理由は何だったのでしょうか。

丸若:
EN TEAのミッションは、お茶の可能性を世界に伝える、ということです。海外の人たちにお茶を伝える時に、お茶そのものの背景からはじまってどう淹れてどう飲むかというところまでを自分たちのつくったもので提示できたらいいな、と考えていました。ただ僕は不器用なので、複数のことを同時にはできないんですよ。だからまずは茶葉を世に紹介して、頃合いを見てから道具に繋ぎ合わせてスタイルを提案しようと思っていました。

なるほど。茶道は総合芸術であるとも言われますが、お茶に触れることで必然的にうつわ・お菓子・アートなど色々なことに関わっていくことになるのが面白いですよね。

丸若:
お茶って何のためにあるんだろう? とずっと考えていたのですが、要はプラットフォームなんですよね。フェイスブックとかと似ているところがあって、人と人の交流のベースになるものだと思うんです。「茶会」っていうのは、色々な人がそこに集まって情報交換するためのきっかけづくりだったんじゃないかと想像しています。

「お茶しようよ」って日本人が老若男女問わず使う表現ですが、昔から私たちの中にコミュニケーションのきっかけづくりとして染みついているものなんでしょうね。

丸若:
日本にお茶が伝わってから約1300年経っているのですが、今でも日本人の生活の中に当たり前のものとして変わらず存在しているというのは、その時代に合わせて変化することを恐れなかったからだと思うんです。でも一方で、“伝統”という言葉で語られる世界ってブレークスルーのチャンスがなかなか巡ってこないのも事実で。

はい、そういうものですよね。

丸若:
この話に関連したところでいうと……正に“身に余る”御用命で、2019年に開催された「G20大阪サミット」の時に、ファーストレディーを含む配偶者の方々のプログラムの一つをお手伝いさせて頂いたんです。

京都の東福寺で行われた昼食会とティータイムですよね。いくつかの記事で拝見しましたが、関わっている方々がとても興味深い面々でした。料理は京都で新進気鋭といわれる「木山」と「acá」、工芸は「朝日焼」、「開化堂」、「金網つじ」といった老舗の面々、そして衣装はDESCENTE(デサント)、更にはサカナクションの山口一郎さんの名前まで。

丸若:
あくまで参加される方々の心が安らぐこと、そして日本の未来を良いかたちで体感して頂くこと。このことだけを徹底し、固定概念や手前事情は削ぎ落とす。これを実現する為に現役バリバリのメンバーで構成して執り行われた、僕たちなりの「おもてなし」でした。でも言うは易しで、皆の理解と協力があったから実現した奇跡的な試みだったと思っています。

お茶に限らずですけど、嗜好性が高い物って“愛”を持って飽くなき挑戦をし続けた先人たちによって受け継がれているんですよね。その時代その時代で無茶をしてきた人たちが周りに「えっ?」と言われながらも信念を持ってやってきたからこその今、だと思います。丸若さんが演出された会が、たとえば100年後とかに“伝説の会”みたいな感じで語られるかもしれないと思うとわくわくしますね。

丸若:
いやー、伝説になるよりも、スタンダードになるきっかけとして何かが残せたら最高ですけどね。

改めての質問になっちゃいますけど、丸若さんにとって「お茶の面白さ」ってどんなところですか。

丸若:
そうですね……。数年前から煎茶稽古へ通っているんですけど、そこで宗匠に教わったことが印象に残っています。「茶会はその会がどれだけ印象に残るかが大切だ」とおっしゃるんですね。つまり、美味しいお茶ばかりを飲む茶会は記憶に残らない、予定調和な時間に違和感をどう演出するかによって「あの時の茶会は……」って思うでしょ、って。だから、激マズなお茶が主役になることだってあると(笑)。

面白いですね(笑)。

丸若:
こういうところが、お茶の面白さのひとつだと思います。つまり、出すお茶で場をコントロールすることができる、ということ。たとえば会議で話が煮詰まった時にすっきりした味わいのお茶を出すことで、みんなの頭の中がすっきりするとかね。食事でもそうじゃないですか。最後すっきりした味のお茶を出すことで、ひとつのエンターテインメントが幕を閉じる。そういうことができるのがお茶の特性だと思います。

エンターテインメントといえば、EN TEAスタート時から展開されている「水出し緑茶」はとてもインパクトがある商品ですね。ボトルにティーバッグを入れて30秒くらいシャカシャカすると出来上がり、っていう。

丸若:
実はこれ、もともと松尾が一つの遊びとしてつくっていたものがきっかけになって生まれたものなんです。松尾という人間の才覚と、お茶の可能性、それからEN TEAというブランドのコンセプトをわかりやすく投影できた商品だと思います。お茶の事業をスタートするという決意をした大きなきっかけでもありますね。

水出し緑茶は、虎屋菓寮で「冷煎茶」として提供されていますね。

丸若:
虎屋さんには、他にも数種類のお茶を持ってプレゼンしに行ったのですが、採用されたのは水出し緑茶でした。オペレーションの良さ、味の均一化など、いろいろな面でポジティブな言葉をいただいて。これは決して「便利グッズ」的なものではないんですよ。すごく簡易さを感じると思うんですけど、ティーバッグの形状や茶葉のブレンドをめちゃくちゃ計算してつくっているので。簡単とか怠惰ではなく、絞って、そぎ落として、知恵をプラスして生まれたものなんです。

虎屋に認めてもらえたというのは、力になりますよね。それにしても、関わっている方達のふり幅の広さに驚いています。

丸若:
「虎屋からチームラボまで」って分かりやすくないですか?(笑)。オフロード、オンロードどっちにも耐えうる品質が商品にあるからこそ出来る、挑戦だと思っています。

ひとつの“歯車”として生きていく

お茶にしても伝統工芸にしても、いわゆる“手ごわい世界”じゃないですか。そこに新参者として入ってコトを興すっていうのは結構ハードなことだと思うんですよ。それこそ、精神的に相当タフじゃないと務まらないのでは。

丸若:
純粋な気持ちで向き合っているか、そこにちゃんと「自分」がいるのか、ということは常に意識していますね。ビジネスだから、マーケティングを気にしなきゃいけない部分もあるのかもしれないけど、最終的にはそんなの関係ない(笑)。とことんやり込んで、「自分がいいと思った」っていうのが本質的というか、揺るぎないものじゃないですか。

あくまで自分の気持ちベースなんですね。

丸若:
じゃないと、僕の場合は無理ですね。

これは丸若さんの活動を拝見していてずっと思っていたことなんですけど、信念はものすごく強いものを持っていらっしゃるけれどご自身はあまり表に出ないというか、控えめな印象があります。

丸若:
“自分にはなにもない”というところからスタートしていますから、それこそコンプレックスの塊ですよ(笑)。一流じゃないからこそ、見えるものもあったと思いますけど。あと……自分の存在を表に出さない、という心持ちに至るきっかけになった或る方との出会いがあって。

そうなんですね。

丸若:
その出会いをきっかけに、自分の身の丈を知ったんです。世の中には“伝統を繋ぐ人”がいて、“伝統を理解する人”がいて、そして“存在自体が伝統”な人がいる。じゃあ自分の役割は何だろうと考えた時に、伝統を伝えて行く為の“歯車”として機能するということが、自分にとってすごく贅沢なことだなと思ったんです。

なるほど。

丸若:
僕は上出くんと一緒に「髑髏の菓子壷」をつくりましたけど、もしかしたら「伝統工芸の技術を使ってこういう作品をつくるのは……」と違和感を感じた方もいたかもしれない。でも、たとえばクラシック音楽を愛する人から見たらロックというジャンルはゲテモノかもしれないけど「音楽が好き」という思いは一緒なわけですよね。髑髏つくってようがなんだろうが、日本文化への想いがピュアであれば、あとは頑張り次第で自分らしい発信ができるんじゃないかって思ったんです。

素敵な考え方ですね。切り口や見せ方が前例のない型破りなものでも、そこにちゃんと“愛”はあると。それこそ先ほどお話されたG20の配偶者プログラムの顔ぶれを見るとまさにボーダレスというか、虎屋とサカナクションが同じクレジットに並ぶのか、という驚きがあります(笑)。

丸若:
はい。サカナクションとの出会いも大きな財産です。“LIVEとお茶”や“カセットテープとお茶”など多くの場面で関わらせて頂いたのですが、彼らとの取り組みをきっかけにEN TEAに興味を持ってくれた方も多くて。

お茶って、日本人にとっては米と同じくらい摂取量が多いものじゃないですか。EN TEAのお茶は本当に丁寧につくられているものだから、手に取った方たちがそれを「お茶の味」として認識しながら歳を重ねていく、というのはとても素敵なことですよね。日常的にいいものに触れるということは、いい人生をつくっていくことに繋がるのではと思います。

丸若:
僕も本当にそう思います。物事にはハレとケがあって、ハレのものはもちろん素晴らしいんですけど、僕たちはケの部分つまり日常の中にあるものをつくっていきたいと考えています。日常の中に「良いもの」があってそれに触れているだけで、豊かな人生が生まれちゃうから。逆を言えば、日常で触れるものは無意識のうちに自分の中に染み込んで行くからある意味怖い部分もある。情報や物を扱う人は「自分たちはヤバいものを扱っている」という感覚を持つべきだと思いますね。

代表作を更新していく

これから、EN TEAはどんなお茶や道具をつくっていくんでしょう。

丸若:
社内で話していることなんですけど、僕たちは“美味しいお茶”をつくるのはやめて、“美しい味”を追求していこう、と。たとえばカップラーメンって、食べるシチュエーションによっては世界最高峰に感じると僕は思うんです。“美味しい”って、良い意味でも悪い意味でも一定ではないし、文化が異なれば、それがより如実に表れます。だけど、美味しいではなく“美しい味”とした時に、普遍的・本質的な線引きが生まれる。美しいという基準を持ち、同時に同じ概念で生まれた道具を合わせていこうと考えています。ちなみに僕にとっての美しさっていうのは、仕事に対して、すべての可能性と向き合い、真摯に取り組む。その姿勢の先に生まれる“結果”ですね。

いい人生をつくるきっかけになるもの、とも言い換えられるでしょうか。

丸若:
そうですね。手にとってくださる方の人生が豊かになるもの、「必要だ」と本質的に思われるようなものをご用意したいですね。その人の“愛用品”になっていくもの、とも言えるかな。それがソフトの場合もあればハードの場合もあるかもしれない。そういう意味では、お茶ってハードとソフトの真ん中にあるものだから自分らしくていいなって思っています。勘違いされるだろうけど「GEN GEN AN幻」をいつ閉じられるかっていうのが、楽しみでしょうがないんですよ。その心は、最終的にはお客さんの家がGEN GEN AN幻、みたいな感じになると良いなと思い描いていて。お店まで足を運ばずとも日常の中に当たり前にお茶を淹れる・お茶を飲む、という行為が浸透すると良いなと思います。それが僕たちの隠れた目標ですね。

洋服、絵、工芸、お茶、さまざまなことをやられてきての今ですが、全部繋がっているというか、根底にある精神は一貫しているなと感じました。

丸若:
絵を描いていた時も、決して絵が描きたかったわけじゃなくて、自分に見えているものをかたちにするための手段として絵を選んだんだと思います。それが今は、お茶や道具に変わっているだけなんですよね。

丸若屋をはじめてから今年で14年。現時点で思う、ご自身の代表作は?

丸若:
え、なんだろう……。難しい。今取り組んでいることがベストであって欲しい、とは思いますね。それが一番ポジティブでしょう。現在進行形が気持ち良いですね。

代表作は永遠にできない、ということでしょうか。

丸若:
そうですね(笑)。やっぱり、自分を高めるには「今を最高にする」ことが一番いい方法かと思います。視点を過去に持っていくと、「あの時は良かった」ってなっちゃう。生きているうちは現在進行形がいいなって思いますね。

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2020/11/01

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