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21のバガテル モノを巡るちょっとしたお話

第16番:May I have your autograph?
「デレク・ジャーマンのサインとダンジェネスの石」

文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop “DO” をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。

旅行中に持ち歩いていた手帳の裏表紙にサインしてもらった。その手帳をめくると1992年2月20日の欄に「SOHO、PICCADILLY周辺を歩く。デレク・ジャーマンに遭遇。サインをもらう。」と書いてある。

 今でも大事に取ってある一通のエアメールがある。中学生の頃、当時パリに住んでいた変わり者の叔母が送ってくれた、人生で最初にもらったエアメールである。元々手紙なんて書くタイプの人間ではない叔母がわざわざ送ってくれたのには理由がある。実はその手紙にはある人のサインが入っていた。ある人とは当時「ラ・ブーム」という映画でアイドル的にデビューし、今ではすっかりフランスを代表する女優のひとりになったソフィー・マルソーである。

 叔母が帰国してうちに遊びにきたとき、ソフィー・マルソーのポスターを部屋に貼っていたのを覚えていてくれたのだろう。たまたまパリのホテルでソフィー・マルソーの記者会見があると知人のジャーナリストから聞きつけた叔母は、図々しくもその場にもぐりこみ、記者会見後におしかけて甥がファンだからとサインをねだったらしい。今となってはそのエアメールを見る度に、ちょっと風変わりな人だったけど親族思いの叔母だったんだなと懐かしく思い出す。

 サインといえばもうひとつ思い出がある。学生時代、同じサークルの映画好き後輩女子ふたりがなにやら楽し気に話をしているので、気になって聞いてみるとイギリスの映画監督、デレク・ジャーマンが好きということで意気投合していたという。当時確か「エンジェリック・カンバセーション」という作品が上映されていて、監督も作品も初耳だった僕は後輩に遅れをとるまいと慌てて観に行ったものの、映画館ではほとんど寝ていたような……。

 その数年後、同級生二人と卒業旅行でロンドンに行った。着いた翌日、まだ興奮冷めやらぬ中ロンドンの街を歩いていた時である。目の前に見覚えのある顔が現れた。「あー、デレク・ジャーマンだ!」と僕は友人に伝えると、友人のひとりはモリッシーの大ファンだったこともあり(デレク・ジャーマンはザ・スミスのビデオクリップも撮っていた)「サインもらおう!」ということになった。

 意を決して「あなたのファンなのですが、サインをしてもらえませんか」と連れの人と信号待ちしていたデレク・ジャーマンに伝えると、はじめは驚いた様子で、でも次の瞬間に優しく微笑んで快く応じてくれた。周りにいたイギリス人は誰も見向きもしてなかったと思う。それが1992年のこと。その2年後の94年にデレク・ジャーマンはエイズで亡くなった。

 ロンドン南東部、ケント州の海辺の村、ダンジェネスにデレク・ジャーマンが晩年を過ごした家がある。通称Prospect Cottageと呼ばれる元漁師小屋だったという家は、死後に出版された『Derek Jarman’s Garden』という一冊の写真集で有名になった。コテージを覆うようにつくれた庭は海辺から続く小石に覆われ、庭というより植物とオブジェで構成されたランドアートのようである。近年この家を訪れたという知人が庭の小石をプレゼントしてくれた。デレク・ジャーマンの思い出がまたひとつふえた。

ダンジェネスは原子力発電所があることで知られる。海と原子力発電所と小石に覆われた大地とが、まるで砂漠地帯のような印象を与える。荒涼とした世界の果てのようなこの場所でデレク・ジャーマンは「庭」をつくり続けた。

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2020/10/12

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